黒島結菜(26)が突然5月23日放送の「徹子の部屋」に登場。これ、事前に情報をつかんでなくて慌てた。
またまた今回も衣装がユニークな感じ。トークに入る前に結菜はなぜかパンダのミニチュアを徹子さんにプレゼント。
自己紹介では名前の由来を説明。結が「ゆいまーる(助け合い)」で、菜が「母が中森明菜さんのファンだった」と説明。やっぱり「~菜」という名前はたいてい中森。80年代以前はなかった名前。
徹子さんとは初対面なのだが、昨年の紅白で「ちむどんどん」チームがゲストとして結菜はステージにいたので、審査員席にいた徹子さんは結菜を見ていた。
「ちむどんどん」について回想トーク。当初は「わたしにできるかな」と思っていたが、3回目だったし、良いチームだったし。
人前に出るのが苦手だったけど、母のススメでオーディションへ。中学生のときの素朴結菜写真がかわいい。沖縄といえばブルーシールアイス。
当初2年ほど飛行機で東京に通う芸能生活だった。「飛行機が好きだった」「東京にあこがれてたので楽しかった」「人の多さに驚いた」「ビルが高くて驚いた」「車のナンバープレートの種類の多さに感動してずっとクルマばかり見ていたw」
さらに幼少時についてトーク。「子どもの頃はやんちゃだった」「まっくろに日焼けしてた」「木登りが大好きだった」
沖縄で好きな言葉は「まくとぅそーけーなんくるないさー」(正しいことをしていれば大丈夫)
糸満の家族について。三姉妹の長女が結菜。妹は3歳下と5歳下。この姉妹写真は父が北海道に出張に行ったときに雪だるまの入れ物(発泡スチロール)に雪を入れて持ち帰ったもの。沖縄の子はそんなものでも喜べる。そのエピソードにほっこり感動。「東京で降ってる雪を見たときは感動しました」
家族とは仲良しで、「一緒に公園にピクニックに行く。」結菜「お父さんは51歳」徹子「お若いのね」
父はすごく応援してくれている。出てる作品をすごく見てくれてる。母はあまり見ていない。「つらいことがあったら帰っておいでと言ってくれる」
東京でつらかったことは?という質問。「十代のとき、休みがなく仕事が続いたとき大学が両立できずつらかった」
石垣島の祖父母が「朝ドラ」スタジオ見学に来た時、エキストラで共演した。パイナップル農家で体が丈夫。「収穫をいっしょに手伝ったりした」
結菜がトーク中すごく目玉を上に向けて考える。これは映像を思い浮かべながら話しているときの人間のしぐさ。こういうところも結菜は誠実。祖父母は結菜によればたぶん74歳。
徹子さんが「パイナップル大好き」というので「贈ります」と返答。
黒島結菜の憧れの女優は「高峰秀子さん」とのこと。どうして結菜の年代で高峰秀子を知っているのか?映画とエッセイで知っていたっぽい。
高峰秀子が登場した1983年放送回をOA. 興味深くVTRを見つめる結菜。この女優を自分は「二十四の瞳」の一場面とエッセイ本の表紙とかでしか知らなかった。すごく喋りがちゃきちゃきして早口。「自分をしっかり持った人間になりたい」
嫌いな食べ物がない。「家ではパスタばかり作ってる。アラビアータとかカルボナーラとか、冷蔵庫にあるもので作れる」
料理を作るようになった理由は、「20歳の時に保護犬を飼い始めて。家にいる時間が長くなったから。」犬の名前はコハダとシャディ。「コハダは自分で名前をつけた。シャディも保護権でもともと名前がついていた。」「コハダは赤ちゃんのときに家に来た。シャディは大人になってから来たのでトラウマを持っていた。」「今は一緒に寝るぐらい慣れてる」
どうして保護犬を?という質問に、「犬を飼いたいなとは思っていたが、犬種にこだわりがなかった」「勢いで見に行った」「コハダは家に着いたときからお腹だして寝てたw」「犬を褒めるときは全力で褒める」「シャディは6歳ぐらいだと聞いてた。病院に連れて行ったら13歳ぐらいかもしれないと言われ驚いた。」
一匹だけだとお留守番が可哀想だと思った結菜。「もう一匹いれば楽しいかな」と2匹飼うようになった。「2匹にしたら落ち着くようになった」
そして6年ぶりの舞台出演の告知。徹子「あーたみたいに若くても6年ぶりなんてあるの?」「前回は二十歳だったので」「岩松了さんのオリジナル作」
結菜から徹子へ質問。旅に行くならどこ?徹子「イタリアが良かった」結菜「イタリアに行ってみたい」
なんでパンダが好きなんですか?徹子「ぬいぐるみを持っていたきっかけで調べた」
番組の最後に今日の感想を沖縄の言葉でとムチャブリ徹子。「でーじたのしかったさー」
もう死ぬほど可愛い。自分の命に残された時間は結菜を護るために使いたい。
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