引続き沢木耕太郎「深夜特急4 シルクロード」(1986)を読む。1995年新潮文庫版で読む。
第10章「峠を越える シルクロードⅠ」
体調も回復。パキスタン国境の街アムリトサルへ。ポーランド人学生と同じバス。共産圏にもヒッピーがいるのかよ。この学生がずっとインドの悪口。不潔さと物乞いと貧困を罵倒。
ラホールがインドの重苦しい湿った暑さと違ってカラッとして街に露店が並び人通りも多く活気がある。バスに同乗した現地人英語教師から「お荷物東パキスタン(バングラデシュ)が独立してくれてすっきり」「飢餓や洪水で苦しんでるのは自業自得」と聴かされる。
パキスタンのバスの運転がすさまじく荒い。まるでチキンレースを楽しんでるかのよう。
ペシャワールの映画館で見た映画がつまらない。途中で帰ろうとしたら警察官につかまれる。どうやら爆弾を置いて立ち去ろうとしたテロリストと間違われた?パキスタンでは映画を最後まで観ずに帰るやつはいないらしい。
ペシャワールからアフガニスタン・カブール行きのバスに乗り込む。ジャララバードで昼食休憩。チャイの飲み方が特殊。コップの3分の1砂糖が入ってる。そしてポット。粗い砂糖は少しずつ溶けるので思ったほど甘くない。
第11章「柘榴と葡萄 シルクロードⅡ」
アフガニスタンは国家による法治でなく部族の掟が支配する国。ソ連侵攻以前のカブールにもこれほど西側諸国(日本人を含む)から多くのヒッピーが来てたことに驚き。
カブールが標高が高くて寒い。長旅をしてると曜日の感覚がなくなるけど、もうすでに初冬になってる?!
部屋代を安くするためになぜか宿泊所の客引きをやらされる。長旅をしてるヒッピーたちの目はみんな疲れと頽廃。沢木も心も体も弱って他人が鬱陶しくなってる危険な兆候。宿で寝るしかなくなる。それがヒッピーというものか。3,4日のつもりが退屈なカブールに1週間、2週間とズルズル滞在。
第12章「ペルシャの嵐 シルクロードⅢ」
東京を出る時壮行会をしてくれた磯崎新夫妻がテヘランに滞在してると知って(カブール日本大使館メールボックス)急いで出発。これもギリギリなオンボロバスの旅。客から金を集めてガソリンを買ったり修理したり、国境で警察官が乗り込んできたり、道に迷ったり…。それでも愉快な旅かもしれない。
テヘランが旅始まって以来の大都市。丘の向こうに夜のテヘランの広大な街の明かりが見えてきたときは感動。
どのホテルに磯崎氏がいるのか?早く探さないと御馳走にありつけない!w 沢木は推理力をフルに発揮w
革命前のイランは洗練された都会。プラタナスの並木道、近代的なビル。路上にガラス張りの電話ボックス。どれもがここまでの旅では目にしなかった要素。街は余裕のある人々。
(なのに革命とイイ戦争で国はどん底。80年代多くのイラン人が日本へ。そうしてダルビッシュは生まれた。サエコはダルの子を孕んだ。社会の変化と経済情勢は国民を変える。岸田が今やってることは30年後の日本人に大きな影響を与えるに違いない。)
イスファハンで安宿を探してると電気屋のショーウィンドーのテレビでアリVSフォアマン(ザイール・キンシャサ)での世紀の一戦の中継?!
生活がかかってる古物商老人相手に、欲しい懐中時計をゲームしてるかのようにそこまで値切るな。
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