2023年6月28日水曜日

三島由紀夫「潮騒」(昭和29年)

三島由紀夫「潮騒」(昭和29年)を読む。新潮文庫平成19年129刷!で読む。
なんと13歳のとき読んで以来2回目。今日までまったくこの作品を再び開こうと思わなかった。

三島由紀夫の代表作というわけでないけど超有名作。吉永小百合で映画にもなってる。(未視聴)
ミシマは大正14年の生まれなので昭和がそのまま年齢。ということは潮騒が発表された昭和29年に29歳。二十代でここまでの名作を残すとは、さすが天才は違う。若くしてベストセラーが出ると、後はもう自分の好きなものを書ける。

今回読んでみてまるで内容を覚えていなかったことが判明w 
登場人物たちがどのような服装なのか、どのような風景の中にいるのか、何をしているのか、それらは大人になって、時代背景とかわかってからでないとイメージできない。十代中ごろの子に現代文国語で文豪の名作を出題するのはやめてほしい。

今まで潮騒の舞台がどこなのかまったく知らなかった。今回は舞台となった伊勢湾にある神島(小説では歌島)の風景をググってイメージをつかんでから読書開始。実は自分は15歳のとき伊良湖岬-鳥羽フェリーに乗ってるらしいのだが、まったく記憶がないw 当然にそこに見えていた神島も何も覚えていない。

おどろいた。神島ロケハンしたほぼそのままの仮想空間。旧陸軍の「観的哨」って今も神島にあるんだ。今は何でもすぐググって調べられるけど、これを13歳の自分がイメージできてたはずがない。今回読んでみてよかった。

夜しくしく泣いてる初江。道に迷ってそこにいたはずなのに、新治と話した後でどうして自分から先に「私、もう行きます」なんだ? 新治はそこでつっこめ。
セーターの胸の汚れを手ではたいて落としたとき、胸がぷるんと揺れるのをしっかり見てるとか、そこは今の十代も「わかる」と言うはず。

数回会話しただけで初江がもう新治を自分のものだと思ってる?!新治の恩人である灯台長の娘千代子(東京の大学に行ってる)から手紙が来てるというだけでもうヤキモチ?
この千代子という器量の良くない娘が登場する意味がわからない。(と思ってたら、最後で重要な役割があった)

水汲み場で初江を手籠めにしようとした安夫を蜂がまとわりついて未然に防ぐというシーンは、なんだかファンタジーっぽい展開に感じて、初めて読んだ当時も「なんだかなあ」と思った。美男美女の正しい恋物語に都合がいいハプニングは普通起こらない。

今回この小説を読むのに、同じ時代に書かれた横溝正史「獄門島」の市川崑版の映画で見た風景もイメージした。初江の頑固父照吉は完全に鬼頭嘉右衛門(東野英治郎)だった。

海女たちのシーンではもちろん「あまちゃん」を思い出す。新治の母は初江の乳房を見て処女だと確信する件、中学生の時の自分はいったいどう思ったのか?そんなことが可能なのか?

船員見習いとして沖縄へ行って台風に遭遇。18歳の少年に航海士が危険すぎる任務をやらせるの、今なら大問題じゃないのか。昭和20年代はまだ男たちは兵士みたいなメンタリティか。

自分は「ダフニスとクロエ」を読んで今回「潮騒」を読んだ。いろいろ共通点を感じた。青春映画みたいだった。
潮騒は三島を何冊か読んできた読者には戸惑いを与えるほど素直に読める短めな長編。美しい日本の自然で生きる理想的な若いカップル。こんな青春と生き方ができたら、日本はこれほど不幸な国にならなかった。

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