2023年5月5日金曜日

ヴェルヌ「十五少年漂流記」(1888)

まだ読んだことなかったジュール・ヴェルヌ「十五少年漂流記」(1888)波多野完治訳昭和26年新潮文庫で読む。
ほとんど読まれた跡のないわりとキレイな平成26年第99刷がそこに110円で売られていたので連れ帰った。

ジュール・ガブリエル・ヴェルヌ(Jules Gabriel Verne、1828-1905)「Deux Ans de Vacances(二年間の休暇)」を発表したのが1888年。日本では明治21年。黒田清隆が第2代総理大臣に就任。イギリスでは切り裂きジャック事件が起こってたころ。

暗い海を漂う帆船…というシーンからスタート。
1860年2月の英国植民地ニュージーランドオークランドにあるチェアマン寄宿学校の児童たちが主人公。自分、今までこの小説がいつごろでどこが舞台なのかもしらなかった。
イギリス人、フランス人、ドイツ人、アメリカ人などすべて白人の子弟の100名あまりの学校は夏休み。14名の生徒が帆船スルギ号に乗って、2か月間のニュージーランド沿岸一周の旅に出発…の予定。

出港を待ちきれない子どもたち。夜のうちに乗船し寝てしまう。すると艫綱がほどけて気づいたら沖合3マイル。14名の子供(全員14歳以下)と水夫見習い黒人ボーイ1人、そして犬一匹を乗せて、船長や船員不在のまま出帆。

嵐の数日。そして陸地を発見。固い砂の上に座礁。
幸いなことにスルギ号には2か月分の食料、帆布、ロープ、大工道具、針や糸、マッチ、火打石、猟銃とピストル、弾薬、信号弾、衣服、布団と枕、温度計、気圧計、望遠鏡、英国国旗、筆記用具、図書などなど豊富。それなら数年はサバイバル生活が可能だろう。(吉村昭「漂流」の絶望さは最初からない)

植物が熱帯のものではない。ということは冬は寒くなりそうだ。
貝を拾って食べる。銃で野鳥を撃って食料にする。あざらしがいる。ペンギンもいる。ということは南極に近いのかも。
冬になれば海が荒れ船がもたない。最年長ドノバン少年は少年たちばかりでどうやって冬を越せばいいのか?ブリアンみたいに反抗的な子もいるなかで、どうやってみんなで仲良くやっていけるのか?

陸地が島なのか?大陸なのか?探検しないとわからない。探検で仲間同士の言い争い。しかし、湖水があることが判明。これで水には困らない。
そして人間が生活した跡を発見。そして、人骨も発見。

冬が来る前に船を解体し運ぶ。筏をつくって川を下る。洞窟で快適に暮らす。
少年たちは話し合いをするし規律がある。これが西洋の教育のおかげ。仕事を分担する。年下の子たちに教育も行う。

冬は雪が降り氷点下30度まで冷え込む。だがこの島は七面鳥のような鳥がいるしダチョウのような鳥もいる。ラマのような家畜になる動物もいる。
人間に脅威を与えるような大型の害獣もいないし、危険な毒虫もいない。人間が暮らすのにすごく理想的な島。

自分が今まで読んできた本とか映画だと、1人1人死んでいくような最悪な事態も頭をよぎるのだが、その点、この本は子どもが読むのに適した安心安全設計。せいぜいドノバンとブリアンのけんかぐらい。

しかし、終盤になって突然風雲急。島に殺人犯の悪党が上陸。少年たちと戦争さながらの展開。駆け引きと心理戦。大ピンチ。

今回初めて読んでみて、さすが読み継がれる名作だと感じた。戦争展開になって殺人を犯すようなやつはこちら側から殺してかまわないというところは19世紀らしいなと感じた。あと、大統領(リーダー)を選ぶ選挙において黒人少年には選挙権があたりまえのようにないのも19世紀らしい。

あとがきによれば、明治29年に森田思軒により英訳原本から日本語に訳されたものが日本で広く読まれていた。英米であまり評判にならなかった作品を、思軒がかなり自由に文章を書き直し、緊張感のある漢語調に改めた。最初から日本では「十五少年漂流記」というタイトルに訳された。これが日本の少年たちの心をとらえた。以後に国内で出た本はこの思軒訳をもとにしたもの。

戦中にはもう原本の見つからない翻訳だった。それは仏原本と英訳とでタイトルが違うことによる。
この波多野訳は戦後最初の新訳。波多野訳は1950年に渡米しワシントン議会図書館で英訳本と仏原本を見つけ出して両者を比較しながら翻訳された初の邦訳。ヴェルヌ文体という欠点を、話の筋を生かすことを第一に考えた訳。

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