永井荷風「濹東綺譚」(1937)を読む。岩波文庫で読む。当時の挿絵がそのまま掲載されている。
永井荷風(1879-1959)を読むのが初めてなのだが、初めて読むのがこれでいいのかどうかはわからない。自分は墨東と言われるエリア、向島のあたりにはまだ一度も行ったことがない。鳩の街といわれたエリアに近づいたこともない。
小説家大江匡(59)は小説の取材のために大川の対岸向島区の私娼窟・玉の井を歩く。たまたま出会った娼婦お雪(26歳)の元へ通うようになる。季節の移ろいを美しくも哀く描く。
と説明されてるのだが、驚いたことにとくにストーリーがなかった。ほぼ随筆エッセイ。間に作家の書いた小説というやつが挿入されている。
この本には明治から昭和11年までの、今では失われた東京の風景が描かれている。こういうのは古い写真や映画を見てなんとなく知ってはいるものの、老人の口から語られるものに勝るものはない。
昭和初期の東京の夏がすごく蒸し暑かったことがわかる。クーラーがなかった時代。とにかくみんな暑そう。蚊が多かったらしい。大雨が降ると溝から水があふれ道端にドジョウが?!
お茶を出されたら「水道?井戸?」と聞く。井戸水だとチフスが怖いので手をつけない。そういうの、ドラマからは学べない。
玉の井の客引きは袖を引っぱるだけでなく、帽子を奪っていく?!それはやりすぎだというので禁止になったらしい。
あと、戦前の警察官(平成もだが)の態度が横柄。道端で風呂敷包みをひらいて荷物を移し替えてたりするだけで交番に連れていかれる。なんで?当時の常識がいろいろ謎。
あと、「彼氏」「彼女」という言葉はこの時代からあったことも知った。
作品中に昭和11年に廃止されていた京成電気軌道白鬚線の京成玉の井駅に関する記述がある。白鬚線や玉の井駅については廃線廃駅に関する本や雑誌でなんとなく知っていた。
線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。去年頃まで京成電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取り払われた玉の井停車場の跡が雑草に蔽われて、こなたから見ると城址のような趣をなしている。
あと、冷房のなかった時代の東京(麻布?)は夏になると近所が障子を開け開くようになって、ラジオや蓄音機の音が外に出るようになる。荷風せんせいはその音が嫌で浅草や向島をほっつき歩いたらしい。
で、秋になってうるさいラジオの音がしなくなると家にいる。すると自然と玉の井のお雪のところに行かなくなる…。都市部の人間関係ってそういうものだな。
あと、夏場になると銀座ですらもホットコーヒーを出さなくなる?荷風せんせいはアイスコーヒーやアイスティーを批判。
わたくしは炎暑の時期いかにも渇するときといえども、氷を入れた淡水の外冷たいものは一切口にしない。冷水もなるべくこれを避け夏も冬と変わりなく熱い茶か珈琲を飲む。
銀座通りのカフェ―で夏になって熱い茶と珈琲とをつくる店は殆どない。西洋料理店の中でも熱い珈琲をつくらない店さえある。紅茶と珈琲とはその味の半ばは香気にあるので、もし氷で冷却すれば香気は全く消失せてしまう。
わたくしの如き旧弊人にはこれが甚だ奇風に思われる。この奇風は大正の初にはまだ一般に行きわたっていなかった。
日本人は昭和初期にはもう魔改造珈琲を広く飲んでいた。アイスコーヒーは震災後の新しい東京の飲み物。
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