光文社古典新訳文庫版のカフカ「田舎医者 / 断食芸人 / 流刑地で」(2022)を読む。今年の7月に出たばかり。
訳者の丘沢静也氏は光文社のドイツ語古典の新訳を担当する都立大名誉教授のドイツ文学者。カフカの「der prozess」を従来の「審判」でなく「訴訟」と訳し、従来の不安イメージから喜劇要素を強調する路線へ目を向けた訳者。
カフカの長編はもう読んでしまったし、もうカフカはしばらく読まなくていいかと思っていた。だがこの本の表題になってる短編3本はわりと有名なので読んでおくかと手に取った。
カフカが死後有名になったのは親友マックス・ブロートが編集出版したおかげなのだが、生前のカフカが自身の書いた作品のうち、価値があると考えていたものは「判決」「ボイラーマン」「変身」「流刑地で」「田舎医者」「断食芸人」だけだったらしい。
では読みたいものから読んでいく。この文庫本には「インディアンになりたい」「突然の散歩」「夢」という短すぎる断章的短編も収録してるのだが、とくに感想もないのでここでは触れない。
「流刑地で In der Strafkolonie 1919」
たぶん何かの寓話絵本。ショックを受けるほど意味がわからなくて困惑w
将校、旅行者、兵士、囚人の4人しか登場しない。あとは、将校が旅行者に語りかける話の中に、処刑装置を考案した司令官が登場するのみ。
たぶん受けるイメージは人それぞれ。おそらく読者によって好みが別れる短編だが、自分はこの文庫収録短編では一番印象が強い。
まず「馬鍬」というものが何だかわからない人は、この短編にでてくる装置がまったくイメージできない。自分はググってそれを思い描こうとしてもよくわからない。
たぶん映像を具体的に思い浮かべながら読むとホラー。自分としては、日本国民と官僚組織(法務省、財務省)の関係のようなものを思い浮かべて読んでいた。
ドイツ系ユダヤ人で法学を学び保険会社のサラリーマン。気付いたらそんな刻印がラベルに押されていた自分というものをカフカくんは思い描いていたんじゃないか。
1回通して読んでみた後、パラパラと戻って何度か繰り返し読んでみたのだが、たぶんそれは正しくない。いや、正しいとかそんなものはないかもしれない。
処刑装置をアリ・アスター監督にめちゃグロく映像化してほしい。
「断食芸人 Ein Hungerkünstler 1924」
自分はタイトルから勝手に「電波少年」の「懸賞生活芸人」のようなものをイメージしてた。たぶんそれはあながち遠くない。
断食して極度にやせ細った姿を見世物にする芸人の内面を描く短編。まあ、これも読んでいて困惑。
芥川とか読んでる日本人には意外とすんなり受け入れられるかもしれない。
「田舎医者 Ein Landarzt 1920」
訪問診療に出かける医者の風景を幻想的に描いた感じの絵本のような短編。これが一番イメージしやすいかもしれない。
「ボイラーマン Der Heizer 1913」
「火夫」と訳されていた短編断章だが、なぜ「ボイラーマン」としたのか?
女中を妊娠させ家を追い出されアメリカに単身移民として渡ることになったカールくん(16)の騒動。
まあ、読む人によっては面白いっちゃ面白いかもしれない。
「歌姫ヨゼフィーネ、またはハツカネズミ族 Josefine, die Sängerin oder das Volk der Mäuse 1924」
さらに困惑。読んでいるときはカフカくんの祖国ハプスブルク帝国の黄昏をイメージしたものかな?と思ってた。たぶんそれも違う。
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