2023年2月6日月曜日

佐藤賢一「ヴァロワ朝」(2014)

講談社現代新書2281「ヴァロワ朝 フランス王朝史2」佐藤賢一(2014)を読む。「カペー朝」読後に引き続き読む。

ヴァロワ伯フィリップが幸運王フィリップ6世(1328-1350)としてフランス王位を継ぐ。これをもってヴァロワ朝の王13人261年続く。

ヴァロワ伯は分家といってもほんの一代前に別れただけの新しい分家。ほとんど戦場に出なかった美男王フィリップ4世に代わって多くの武功を立てた弟ヴァロワ伯シャルルというフランス王家の実力者の子がフィリップ6世。
それはカペー朝2.0とでも呼ぶべき。ルイ10世から弟フィリップ5世への王位継承(ジャン1世を即位したとみなすなら甥から叔父)に変ったときのほうが事件。ヴァロワ朝に変ったといっても大した変化ではない。

イングランド王エドワード3世がフランス王位を要求。母イザベルはフィリップ4世の娘。
だがイザベルの子である以上は女系。フランスでは女子は王になれない。エドワード3世の要求は無理筋。アルトワ伯領相続問題とアキテーヌ公領没収によって英仏百年戦争開戦。
1340年スロイスの海戦、1346年クレシーの戦いでフランスは大敗。さらにペストの大流行と晩年は散々。

続く良王ジャン2世(1350-1364)はポワティエの戦いで黒太子エドワードの前にクレシーの二の舞。なんと王自身が捕虜。ブレティニィ・カレー条約でアキテーヌ公領、カレーと周辺を含む領土と国家予算の倍以上の賠償金を支払う羽目に。解放後に人質の王子ルイが逃走したことで自身がまたロンドンへ戻るという騎士道バカ。ロンドンで客死。ジャックリーの乱が起こったのもこの王の時代。

捕虜だった父ジャン2世の摂政王太子シャルルが賢王シャルル5世(1364-1380)。フランス王家始まって以来の秀才で頭脳明晰。(父を反面教師に?)
戦争はフランス史で一番の名将ベルトラン・デュ・ゲクランに任せて、王位継承ルールを定め、財政改革(税金の父とも呼ばれる)とパリ要塞化(バスティーユ要塞を作ったのもこの王)。常備軍を組織し中央集権化。フランス絶対王政への礎を築く。カスティーリャの内戦(英仏代理戦争)にも勝利。晩年には教会大分裂シスマ。

狂王シャルル6世(1380-1422)が即位。政務はブルゴーニュ公フィリップら叔父たちが行う。成人してブルターニュ遠征に向かう途中に発狂。舞踏会で仮装した貴族が事故って火だるまになるのを見てさらに悪化。
ブルゴーニュ公と反ブルゴーニュのアルマニャック派の内乱、さらにノルマンディーに上陸したイングランド王ヘンリー5世軍とのアザンクールの戦いで大敗。

パリ入城し実権を握ったブルゴーニュ公ジャンは王太子シャルルによって斬殺。ブルゴーニュはイングランドと同盟。気づいたらヘンリー5世は娘婿。国王死後はヘンリーがフランス王位につくことになっていた…。
だがヘンリーは急死。アルマニャック派のシャルル王太子がシャルル7世(1403-1461)として即位。
この王が百年戦争を終結させる。勝利王シャルルとなる。当時としては長生きで58歳まで生きる。

シャルルの子ルイ王太子は愛人にかまける父に反抗的。ついに父とたもとを分かちフランドルへ逃げブルゴーニュ公の保護下で父の死を待つ。そしてルイ11世(1461-1483)として即位。父の忠臣たちを軒並み追放。暴君で切れ者でエキセントリック。ブルゴーニュ公シャルルとの対立と戦い。ついにブルゴーニュを王領に追加。

2人の男児を夭折させ47歳でやっと授かった子がシャルル8世(1483-1498)。13歳で即位。ブルターニュ公女アンヌと結婚したことでブルターニュ公を兼ねる。これで国内に騒乱の心配がなくなった王はイタリアへ進軍。ナポリ王国を手に入れるはずが、アンボワーズ城の改築工事中に梁に頭をぶつけて死去。男児がいないためにヴァロワ朝直系が断絶。

シャルル5世曽孫のオルレアン公ルイがルイ12世(1498-1515)として即位。フランス史上最も遠縁の登板。シャルル8世よりも8歳年上の優等生新王。誰も思いがけない王位。誰も異議を唱えなかったのはシャルル5世の定めた王位継承ルールのおかげ。
ルイ11世の娘ジャンヌと結婚していたのだが、ローマ教皇アレクサンデル6世に働きかけシャルル8世王太后ブルターニュ女公アンヌと結婚するために離婚。(この離婚裁判の顛末を描いたのが佐藤賢一「王妃の離婚」。)
再びイタリアに介入するも失敗。男児がないままアンヌに先立たれ52歳で崩御。

シャルル5世の玄孫アングレーム伯フランソワがフランソワ1世(1515-1547)として即位。今回もルール通りで問題のない王位継承。ルイ12世王女クロードと結婚していてブルターニュ公でもあった。派手好きでルネサンス時代のフランス王。贅沢三昧で大増税。
フランス国王として神聖ローマ皇帝選挙にも初めて出馬。金の力で勝てると思っていた?19歳のスペイン王カルロス1世がカール5世に。以後、フランソワ1世とカール5世はライバル関係。捕虜になってしまったことも。

アンリ2世(1547-1559)は父親のせいで幼いときからスペインでの過酷な人質生活。父も怨むがカール5世も怨む。堅実な性格で慎重。メディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスを王妃。
半世紀におよんだイタリア戦争はカトー・カンブレジ条約により終結。だが、騎馬槍試合での事故がもとで40歳で死亡。これはノストラダムスの予言的中?!

15歳のフランソワ2世(1559-1560)が即位。この王の王妃がスコットランド王ジェイムズ5世の娘メアリー・ステュアート。旧教と新教の対立が頂点。ギーズ公の専横。
フランソワは少年時代から耳鼻咽喉が弱く中耳炎から脳髄膜炎を発症。享年16。フランソワが早死にしたことでメアリーはスコットランドに帰らざるをえなくなる。メアリーの叔父ギーズ公は一夜で失脚。

弟のオルレアン公シャルル10歳がシャルル9世(1560-1574)として即位。ここから母カトリーヌ・ド・メディシスが政治の実権。フランスは宗教戦争。両宗派の宥和を図ってナバラ王アンリと王妹マルゴとの結婚式がノートルダムで行われ披露宴最終日にサン・バルテルミーの大虐殺。パリのプロテスタント(ユグノー)は皆殺し。粗暴な王は半狂乱のまま結核で死去。享年24。

ポーランド王になっていた弟アンジュー公アンリ23歳がアンリ3世(1574-1589)として即位。まだまだ新教徒勢力は強い。王は同性愛者疑惑?!
弟ナバラ王アンリ(ユグノー)が王位継承順位1位という事態にはパリ市民も反発し騒然。平和的解決を目指す王は修道士によって暗殺。
1589年、ナバラ王アンリ・ド・ブルボンがアンリ4世に即位することでヴァロワ朝が断絶。

ヴァロワ朝もずっと戦争の歴史。戦争が王の第一の仕事。百年戦争、ブルゴーニュ戦争、イタリア戦争。高校生の時はとても理解しきれないし覚えきれないと思っていた。
一読しただけではたぶん身につかない。でも、この本を読んだことでフランス王国の歴史がさらにぐっと身近になった気がする。高校時代にはわからなかったことがわかった気がする。
このシリーズは残すところ「ブルボン朝」がある。たぶんどんどん理解が難しくなる。しばらく時間をおいてから読みたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿