講談社現代新書2005「カペー朝 フランス王朝史1」佐藤賢一(2009)を読む。
自分、まだ佐藤賢一の著作を読んだことなかった。直木賞の「王妃の離婚」(1999)は一度手に取りかけたのだが未読。
カペー朝いうても、カロリング朝が断絶した後にロベール家のパリ伯ユーグ・カペー(カペーって合羽って意味だったのか!?)が選挙で選ばれたということと、実力の伴わない弱い王権としか、高校世界史で習ってない。
だが、300年以上も続いてたって全く盲点だった。徳川幕藩体制よりも長かったのか。
ユーグ・カペー(987-996)の後は親から子へとフランス王位が渡されて行く。敬虔王ロベール2世(996-1031)、アンリ1世(1031-1060)、フィリップ1世(1060-1108)。このへんの国王はパリ周辺のわずかな伯領を守り、王権を継いでいくことのみに集中。なので結婚と離婚が最大の関心事。それはそれで正しい行為。
そして最初のターニングポイントが肥満王ルイ6世(1108-1137)。この人はわりと頑張った。そしてその息子がルイ7世。
若王ルイ7世(1137-1180)の妻がアリエノール・ダキテーヌ。この王妃を連れてフランス国王として初めて十字軍に参加。(離婚後にイングランド国王ヘンリー2世と結婚。)
フランス王領がアキテーヌ公領に比べてはるかに見劣りするほど小さい。臣下であるはずのアンジュー伯がイングランド国王とかどうなってんの?
そして尊厳王フィリップ2世(1180-1223)が登場。第三回十字軍に参加。
再婚というプライベートで苦しむ。デンマーク王妹王女を迎えたその夜から離婚を考える。いったい何が?!
イングランド王リチャードには苦杯。しかし敵が人格破綻者ジョン欠地王になると大反転攻勢。ノルマンディー、トゥーレ―ヌ、アンジュー、メーヌ、次々征服。内政でも王領を4倍にした征服王。ブーヴィーヌの戦いに勝利しフランス王の地位を確立。フランス王国は大国としての存在感を増す。
フィリップ2世の43年におよぶ治世の後ようやく獅子王ルイ8世(1223-1226)。両親ともカロリング朝の末裔で血筋に問題ない。さらにポワトゥー、南フランスを征服して王領を拡大。異端カタリ派を征伐するアルヴィジョワ十字軍に参戦。アヴィニヨン包囲戦の最中に赤痢に倒れる。
そして列聖された唯一のフランス王ルイ9世(1226-1270)。(アメリカ・ミズーリ州のセント・ルイスってルイ9世にちなんで名前がつけられてた)
聖王ルイはカペー朝の名君。周辺諸国からも尊敬。第7回十字軍ではトホホのていで逃げかえる。ソルボンヌ大学を作ったのもルイ。現在まで続くフランススペイン国境もルイ9世の時代に確定。
信仰心の篤さから再び十字軍。北アフリカチュニスで疫病によって病没。
病没した父に従ってたフィリップは帰国して即位。勇敢王フィリップ3世(1270-1285)の時代は歴代フランス王と比べて穏か。シャンパーニュ伯領を併合しトゥールーズ伯の娘と結婚しポワティエ伯領、トゥールーズ伯領も手中。アヴィニヨン(ヴネサン)を教皇に寄進。(フランス大革命まで教皇領)
さらにアラゴン遠征。そしてシチリアの晩鐘事件。撤退中にペルピニャンで疫病により病没。
美男王フィリップ4世(1285-1314)は周囲より頭一つ背が高く美男で無口。側近を法律顧問官僚で固める。
13世紀末のフランス王家は他に比類のない強大勢力で美男王は唯我独尊。
ルイ9世時代の対イングランド平和共存方針を撤回。エドワード1世と闘争。アキテーヌ公領を占領しフランドル侵攻。だが、戦費に苦しむ。
ローマカトリックという国際組織に所属しつつ一定の自主性を保つというガリカニスムを最初に表明。全国三部会を初めて招集。
エドワード1世のイングランドとパリ条約でフランドルから撤退後、ローマ教皇ボニファティウス8世を幽閉するアナーニ事件。
フランス人教皇クレメンス5世をアヴィニョンに定住させアヴィニョン教皇庁を開始。
パリのテンプル騎士団員を一斉逮捕し騎士団総長ジャック・ドゥ・モーレーら幹部を火あぶり処刑。
喧嘩王ルイ10世(1314-1316)は短命。2人の娘しかいなかったのだが、崩御したとき王妃は妊娠中。これが男児でかろうじて親から息子へというカペー朝王家の伝統を守る。だが、幼子ジャン1世は生後5日で死亡。
なのでルイ10世の弟がフィリップ5世(1316-1322)として即位。フィリップ5世は美男王フィリップ4世よりもさらに長身。だが男児が夭逝して女子のみ。弟シャルル4世(1322-1328)が即位。
カペー朝フランス最後の国王シャルル4世も男児は夭逝し女子のみ。ここでカペー朝15代341年が断えた。
しかし、男子継承のみでこれだけ長く続いたことは奇跡。よほど遺伝学的に強い家系。
人々の平均寿命が短い中世で、最後の3人を除くと平均年齢52.6歳まで生きた。ルイ7世だけが60代まで生きた。
高校世界史では活字と記号でしかなかった歴代フランス国王が、一人ひとりのエピソード、結婚、王権の相続、内政と外交、イングランドや国内諸侯との対立と戦争、などなど読んでいくと、初めて人間として親しみを持ってイメージが具体化される。
それに佐藤賢一はさすが人気作家。文章がとてつもなく上手いし分かりやすい。高校生でも理解が進む良書。
「ジャンヌ・ダルク」という映画で、ランスでのシャルル7世戴冠式を見ていて「塗油式」というのがよくわからなかった。メロヴィング朝クロ―ヴィスの時代までさかのぼる王家の伝説に基づいた儀式だったのか。
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