2023年2月21日火曜日

塩野七生「ロードス島攻防記」(1985)

塩野七生「ロードス島攻防記」(1985)を新潮文庫(平成10年21刷)で読む。

コンスタンティノープル攻防戦(1453)から70年。マホメッド2世(メフメト2世)の時代から3代下ってスレイマン大帝の時代になるとオスマン・トルコはシリア、アラブ、エジプトを支配する大帝国。東地中海の覇者。だが、喉元のトゲのような存在が聖ヨハネ騎士団の居座るロードス島

この島のことは高校世界史ではなんとなくしか見聞きしてない。薔薇の咲く温暖で気候の良い島。
もともとは聖地巡礼キリスト教徒を保護したり病院を運営したり、イスラムの奴隷となってるキリスト教徒を保護し故郷に戻すボランティア団体。ただし、騎士として参加できるのは貴族の子弟でキリスト教の修道士。妻帯は許されず清貧、服従、貞潔を信条とする。

コンスタンティノープルからシリア、エジプトへ向かうトルコ商船はロードス島の近くを通る。これを襲撃し物品を奪い、こぎ手奴隷となってるキリスト教徒を解放。カリフ・スレイマンはいよいよロードス島を攻略する準備がととのう。1522年の夏。

この本は前半まるまるロードス島と聖ヨハネ騎士団の歴史解説。ローマ教皇と西欧、神聖ローマ皇帝、スペイン、ジェノヴァ、ベネツィアといった国際情勢解説。そして147Pになってやっと戦闘開始。

ジェノヴァ近郊の貴族の次男アントニオ・デル・カレットという若い騎士目線。叔父ファブリツィオは先代の騎士団長。
そしてオーヴェルニュ地方の名家出身のジャン・ド・ラ・ヴァレッテ・パリゾン。
これらの人々が何らかの手記を残したので、この攻防戦のあらましがわかってる。

さらにヴェネツィア領ベルガモ出身の築城技師マルティネンゴの目線。弓矢で戦ってた時代が今では大砲を打ち合う時代。コンスタンティノープルもトルコの大砲で城壁が破られ陥落した。大砲に対抗できる城壁と砦を準備しないといけない。籠城戦といってもどれほど堅固でもいつまでも持ちこたえられるものでもない。こちらは堀を深く掘る。相手は地下道を掘って爆薬を仕掛けてくる。

なので援軍を出してもらわないといけないのだが、このときのローマ法王には政治力がなかった。神聖ローマもフランスもスペインも援軍を出す余裕がなかった。商業国家ヴェネツィアは現実路線。トルコとも取引してたので中立。ロードス島の陥落も時間の問題。

トルコ兵10万に対しロードス島城塞の中に戦闘員6000人で大激戦。トルコは倒した騎士の首を砲弾として相手に撃ちこむような残虐行為。
中世ヨーロッパのあの鉄の甲冑は接近戦になって相手に組み伏せられるともうなにもできないらしい。

だが28歳のカリフ・スレイマンはわりと寛大な和平を持ち掛ける。騎士団も領民も命と財産を保障。島を出るのも良いし、トルコの領民として数年は税金も免除。
そして5か月、トルコ側も多大な犠牲の後に和平成立。

ロードス島を退去したあと各地を転々とした聖ヨハネ騎士団は、やがてローマ・コンドッティ通りに建物を所有するようになる。これは現在もイタリアの治外法権国家。国連オブザーバー参加のマルタ騎士団。

自分、聖ヨハネ騎士団が後のマルタ騎士団だと読んでる最中に気づけなかった。ヴァレッテという名前を見ても、これがマルタの首都ヴァレッタの語源となった人名だと気づけなかった。悔しい。

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