2023年2月20日月曜日

塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」(1983)

塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」(1983)を新潮文庫で読む。
コンスタンティノープルの陥落(1453年5月29日)といっても高校世界史で1行しか書かれていない攻防戦の前夜と、砲撃、海戦、戦後エピローグを252ページで描く。

ローマ帝国は東西に分裂してすぐに西側が没落。330年にコンスタンティヌス大帝が遷都して以来1123年間、地中海世界の首都はコンスタンティノープルだった。
だが、最盛期に100万以上いた国際都市もすでに斜陽。15世紀には外国人を入れても10万人以下?!

冒頭の3章でさささーっとこの物語の登場人物たちを列挙。ビザンチン帝国の皇帝コンスタンティヌス11世、オスマン・トルコのスルタン・マホメッド2世、その側近、小姓。

そしてコンスタンティノープルに滞在していたジェノヴァ人、ベネツィア人、フィレンツェ人たち。ギリシャ人と区別してまとめて「ラテン人」と呼んでいる。医者、提督、大使、学僧。最初はあまりにスピーディーにつぎつぎに登場するので、てっきりコンスタンティノープル群像劇かと思った。思っていたよりも登場人物は多くない
実はこの人たちこそが生き残って後世に記録を残した。日ごとに変化していくコンスタンティノープル内部の様子を今知ることができるのは、日誌を書き残した人がいたおかげ。

トルコの21歳の若いスルタンが短気で残虐。ほぼ織田信長。その一方で東ローマ皇帝46歳は温厚に見えた。

自分、てっきりコンスタンティノープルは海から攻められたのかと思っていた。それも合っているけど、超特大の大砲で陸上から包囲し城壁と塔をどかんどかん砲撃していた。ハンガリー、セルビアが無理矢理トルコ側に参加させられ同じキリスト教徒を攻撃させられていた。その一方、西側キリスト教国は軍を派遣するどころでなく、ベネツィア、ジェノヴァ、ローマ教皇が派遣した傭兵はわずか。

中世はキリスト教徒といえど残虐なことをしていたけど、イスラム教徒のトルコ人もさらに残虐。捕らえられた船長船員たちは残虐な方法で殺されていた。
イェニチェリ軍団って督戦隊だったの?!
城壁を破って乱入したトルコ兵は略奪と殺戮。生き残った市民は老人と幼児は殺し、全員奴隷として売られる。(こういうの読むと、アルメニア人大虐殺はやっぱりあったのかもと思う。)

戦闘に参加したヴェネツィアが大損害を出した。だが中立を守ったジェノヴァもやがて降伏を要求され城壁も壊され土地も家屋も失う。コンスタンティノープルと黒海での通商を失って以後のジェノヴァは西地中海と大西洋へと向かう。

この本を読むことで、薄っすらしか知らない歴史の一場面をいきいきと思い浮かべられるようになった。イメージを固める助けにはなった。コンスタンティノープルの地形がなんとなくわかった。
コンスタンティノープルの陥落とビザンチン帝国の消滅によって西欧の人々は古代ローマという母胎から完全に切り離された。

だが、司馬、清張、吉村と同じようには劇的に感じなく、歴史小説としての面白さにおいては「この程度か」とちょっと失望するレベルだった。塩野七生は人気作家なので、もっと文章が上手いのかと思ってた。淡々と事実を列挙するのみで、あまり読者のツボを突いてこない。
けど、三部作の残り2作「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」は読もうと思う。

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