北杜夫「マンボウ周遊券」(昭和51年)を読む。新潮文庫(昭和63年18刷)で読む。これも読みたくて読んだ本というわけでなく、友人の本棚にあったので読む。
北杜夫(1927-2011)は歌人で医師の斎藤茂吉の次男。兄はエッセイストで精神科医の斎藤茂太。祖父の代から医者の家。
医局勤務時代から外洋航路船に乗り込んだりして世界を見て回ってる。この本もそんなエッセイ。
遠藤周作と一緒にパリへ講演旅行。ネアカの遠藤に対して北は内向的で人見知り。鬱病でもある。小心者で心配性。締め切りに追われ塗炭の苦しみを味わってからは締め切りに余裕がないと気が気でない。だが、躁期になると怖いもの知らずになるらしい。
自分は知らなかった。北杜夫が阪神ファンだったことを。昭和50年は長嶋巨人が初めて最下位になった年。巨人が弱すぎてみんな心配してた。この年は広島、中日、阪神が優勝を争ってた。試合の様子を気にしてる北。自分もなんとなく知ってる選手たちの名前を出して実況。
この本は何といってもパリ旅行、小笠原旅行、マダガスカル旅行、そしてソ連旅行の箇所が貴重。
昭和50年2月、遠藤周作、阿川弘之とヨーロッパへ講演(在留邦人たちの招待?)に出かけたのだが、日本赤軍のテロが心配?!そこは時代を感じた。遠藤「阿川、おまえがおれたちのなかでいちばん右翼的だ。狙われるとすれば、おまえだ。おれはおまえと一緒に歩かんことにする。北君、阿川のそばに寄らんほうがいいぞ。」酷いw
フランクフルトの地下にある食堂で楽士に曲をリクエスト。だが、ナチス時代の歌は大っぴらには演奏できないという時代。
北杜夫の母親が大病院の娘で上流階級。フォアグラの缶詰では満足せず文句を言う箇所には嫌悪感w
北も遠藤周作も軽井沢に別荘を持っていた。別荘がキツツキのせいで穴だらけになってるという箇所はせいせいするw
昭和50年7月には阿川弘之とナイロビ、そしてマダガスカルへ。現地日本大使(元海軍)と行動。さすが上流階級たち。あんまりマダガスカル旅行には今と違いを感じない。
昭和51年2月に星新一、大庭みな子と横浜からナホトカ、汽車でハバロフスク、飛行機でモスクワへと、ソ連作家同盟の招待でソ連旅行。当時のソ連の旅行記になっていて興味深い。北は現地の言葉をソ連語、ソ連文字と呼んでいる。
レニングラードやバクー(当時は石油関連施設に日本人もいた?当地ホテルに日本人も宿泊してたらしい)にも行ってる。
ロシア人通訳エレナの話によると「ソ連では頭のてっぺんから禿げだすと浮気をし、額から禿げだすと賢人になるといわれています。レーニンは十九歳から額のところから禿げだしました」
バクーでの作家人大会では偉い人の演説が長くてウンザリ。
ソ連にきてよかったと思うが、私はソ連をあまりにも知らない。なにせ、バクウの演説会でうんざりしていたとき、後方の垂幕に人を睨みつけるような人物のでっかい写真が貼ってあり、気になってしかたがなかった。
北「あれがブレジネフかい?」
星「冗談じゃない。あれがレーニンさ。そのくらい知らなくちゃ困るな」
北杜夫、医者で作家で世界を旅していても常識はあまりない。
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