2023年1月23日月曜日

集英社新書「物語 ウェールズ抗戦史」(2017)

集英社新書0904D「物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説」桜井俊彰(2017)を読む。同じ著者の「消えたイングランド王国」という本が面白かったので。

ウェールズって日本人にはほとんどなじみがない。ウェールズ人は人口311万人で全UK人口6565万人のうち4.7%しかいない。(スコットランド人540万人は8.2%、北アイルランド人186万人は2.8%)。
ウェールズ人はリトアニア285万人、スロベニア207万人よりも多い。

ウェールズの語源は大陸からやってきたゲルマン系アングロサクソン人がケルト系ブリトン人を呼んだ「よそ者」の古英語「Wealas」による。ウェールズでは自らを「カムリ Cymru」と呼称。それ、まったく知らなかった。

ブリテン島の歴史はカエサルの遠征から始まる。クラウディウス帝の時代にローマ属州ブリタンニアが成立。以後400年ローマ治世下でローマ化。
ブリトン人のイケニ族プラスタグスの王妃ボウディッカの反乱って今までまったく聞いたこともなかった。この時代は部族同士で殺し殺されという殺戮が普通。スエトニウスのローマ軍によって8万人のブリトン人が殺されたらしい。

ベイドンの丘でアンブロシウス・アウレリアヌス率いるブリトン人がアングロサクソン人との戦いに勝利した記憶が後のアーサー王伝説?!

ウェールズ側から見た英国史という視点が新しくて新鮮。だが、知らないことだらけで自分の現在地を失う。
英国の教会といったらカンタベリー大司教。英国史の重要なプレーヤー。だが、ウェールズにはセント・デイヴィッズというさらに古い教会があったこともまったく知らなかった。
ウェールズの人々は「セント・デイヴィッズはカンタベリーの下部組織じゃない!」とローマ法王に働きかけもしたのだが時代情勢によって夢を野望は打ち砕かれる。

驚いた箇所がエドワード1世についての著者の評価。「英国中世史において、いや全英国史において最強の、機略に富んだ、かつ最も聡明だった国王に思えてなりません。」
自分、ジョン王からエドワード2世までみんな無能だと思ってた。
エドワード1世の時代、1282年にウェールズは征服される。以後、一度も政治的独立を達成したことはない。このとき息子エドワード2世にプリンス・オブ・ウェールズという称号が与えられる伝統ができた。

1348-1349年のイングランドにおける黒死病大流行は人口300万が200万まで減少。農民たちの数が減ったことでかえって農民の存在感が増した。
リチャード2世の時代、1381年にワット・タイラーの乱。フランスでも1358年にジャックリーの乱が起こってる。
そしてヘンリー4世時代の1400年にウェールズでも横暴なイングランド人領主に対してオワイン・グリンドールの乱が起こる。これがウェールズ独立戦争といっていい規模だった。この貴族の名前もまったく世界史教科書に出てこなかった。

ヘンリー7世も日本の世界史教科書だと突然出てきた人にすぎないのだが、この本ではとても詳しく登場するまでを解説。ヘンリー・テューダーはランカスター家の最後の王位継承権を持った男児として幼い日々から英才教育。ウェールズの人々にとっては「アヴァロンで眠っていたアーサー王が甦えり、再び全ブリテンの王となる!」という意味合い。

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