2023年1月19日木曜日

中公新書1544「漢奸裁判」(2000)

中公新書1544「漢奸裁判 対日協力者を襲った運命」劉傑(2000)を読む。

自分、日本が無条件降伏した後に汪兆銘南京国民政府の首脳たちがどうなったのか?今日までまったく考えたことがなかった。
満洲国は「ラストエンペラー」でなんとなくイメージしてた。上海や南京は川島芳子や李香蘭の物語によって「漢奸裁判」という、対日協力者を売国奴として裁く法廷を開設。
主に日本の侵略に怒り狂ってた国民向けの、まるで裁判と呼べないようなパフォーマンスをイメージしてた。それはたぶんおよそ間違ってはいない。

後の中共は大躍進や文革でデタラメやってたことは知ってる。だが、国民党もおよそデタラメ。蒋介石も独裁者で権力欲が強い。自身は国民にウケの良い抗日の英雄ポジションにいたくて軍の指揮に専念。対日外交と和平をヨーロッパから呼び戻した汪兆銘(中国では汪精衛と呼ぶのが普通)に任せた。

中国では漢奸といったら南宋の秦檜。金が攻め入ったとき主戦派の岳飛を裏切ったため、中国人にとっては売国奴の中の売国奴。岳飛の墓の前に唾を吐くための像が設置されているとか、日本人からすると中国人のすることは俗悪。

日本との和平に乗り出した人々は誰もが皆「漢奸」にならないように細心の注意をしていた。対華21か条のようなものは絶対に認められないし、満洲国も求められない。日本軍は撤兵させる!と息巻いても、交渉の現場では双方に何らかの妥協が必要。だが、中国人にとって妥協は投降。投降は売国。それって、死ぬまで戦えってこと?!

この本の前半は秘密の和平交渉の結果、日本占領下で汪兆銘の南京国民政府ができるまでも、関係者の著作や記録から詳細に教えてくれる。日本側は汪兆銘の実力を評価してなかったし、南京政府には兵力もない。このへんは世界史の教科書ではぜんぜん教えてくれない。
汪兆銘は日本の敗戦が現実を帯びてきた1944年11月に名古屋帝国大学病院で亡くなってる。以前に襲撃されたときの体内の弾丸が炎症を起こしてずっと苦しめていた。体内の弾丸摘出って昔は難しかったのか。
中国ではしばらく汪兆銘は蒋介石に暗殺されたという説が強かったそうだ。自分は知らなかった。

汪兆銘の墓は戦後すぐに蒋介石の命令で爆破。棺から遺体を取り出し火葬して棄てられた。かつて孫文と共に辛亥革命を実現させた功労者だったのに、これは酷い。
無条件降伏した日本は南京政府首脳たちに寛大な措置を蒋介石にお願いしたのだが返事はない。
戴笠将軍(軍統)は政治的解決で寛大に取り扱う様子だったのが、将軍の飛行機事故による急死で雲行きが変わる。

日本占領下の北京で臨時政府の首班だった王克敏(獄死)、上海で維新政府のトップだった梁鴻志(銃殺刑)も漢奸として捕らえられた。

南京政府の首脳たち、汪兆銘の妻陳璧君も逮捕され無期懲役。
汪の死後政権トップだった陳公博は死刑。外交部長で駐日大使だった褚民誼も死刑。そもそも南京政府は重慶政府と戦ってもいない。反論しても証拠を調べようともしてない?
周仏海は早くから蒋介石とパイプ役で上手く立ち回り重慶国民政府に貢献。裁判で死刑が確定した後に蒋介石の命令で無期に減刑。(48年2月に獄死)
蒋介石も怖いよ。

日本の支配下で要職につくことは中国ではすべて漢奸。魯迅の弟周作人も文化漢奸。(中国では清の李鴻章も漢奸。じゃあどうすれば?)
南京政府に関わって逮捕された漢奸容疑者は4692人。1947年までの2年間、漢奸として起訴された人間は中国全土で30828人。死刑を含む刑罰を受けた人は15391人。

処刑された人に繆斌工作で知られる繆斌(みょうひん)がいる。この人が一番早く漢奸として逮捕、スピード裁判で処刑されている。
結局、日中の和平実現に向けて早くから動いた人は罰せられ、主戦ぶって隠れていた人のみが無事。市民と兵士が死んでいくのを座視できなかっただけなのに哀れ。
(それは文革も同じ。大躍進の失敗をなんとかしようと頑張った人は殺され、毛沢東語録を手に上手く演じていた人は生き抜けた)

普通の人が政治に関わってはいけない。何かあったら殺されるかもしれないことを念頭に置いておかないといけない。
たぶんウクライナの親ロシア派地域のリーダーたちは、仮にウクライナが大反撃で奪還されてもロシアという亡命先がある。なので命は助かる。日本軍に占領された地域の中国人は抵抗しても死。おもねっても死だった。つまり逃げるが勝。そうしたのが蒋介石。

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