東洋文庫132「朝鮮幽囚記」生田滋訳(昭和44年)を読む。
1653年8月16日、オランダ東インド会社船デ・スペルウェール号が台湾から日本に向かう途中、嵐に遭ってケルパールツ島(済州島)付近で座礁遭難。
生き残った船員と水夫36名は朝鮮の役人の捕られ、以後13年間幽閉。
1666年9月に8名が脱出。長崎に漂着するまでを、オランダ人船乗りヘンドリック・ハメル(1630-1692)が記したオランダ領総督と議員に顛末を知らせる報告書。江戸初期、17世紀の朝鮮の様子を知るのに貴重な文献。
(リンスホーテン協会叢書第18巻として刊行されたものを底本とし、オランダ国立総文書館所蔵「植民地文書」所蔵原写本マイクロフィルムコピーを参照に訳出したものと書いてある。)
船員水夫64名を乗せた船はおそらく時期的に台風に遭遇。一度済州島の島影で碇泊、沿岸に朝鮮の異様な兵士らしき人々の姿を見て恐れおののいた。出航しようとしたのだが再び風に流され戻され遭難座礁。
沿岸で帆布をテントにし、手許に残った食料を食べて途方に暮れていると、朝鮮の役人と兵士に取り囲まれ、首に鎖、手には板を取り付けられ罪人として跪かされる。
身振り手振りでなんとか日本に送り届けてもらうように交渉するもぜんぜん伝わらない。後日オランダ人らしき通訳がやってくるのだが、この通訳はとっくに帰国を諦めた様子。外国人はずっと留め置かれ国外に出ることはかなわないらしい。オランダ語も忘れてしまった様子。
小舟で日本に脱出しようとした6人は途中で捕まり、尻を裸にさせられ棒で25回叩かれ1か月寝込むことになる。(そのときの様子が絵として掲載されている)
以後外出を禁止され厳重に監視。野蛮人の所業。
王都へ船に分乗させられ連行。鎖で船に繋がれる。要望は王に伝わるのだが帰国させるつもりはないらしい。
王都から離れた場所に移される。やがて厳しい寒さの冬。米や塩は与えられるのだが、それだけでは生きていけない。薪を遠くから拾ってこないといけない。衣服はボロボロ。
意外に頻繁に島の総督が入れ替わる。理解のありそうな温厚そうな人もいるが、酷薄なやつもいる。外国人漂流者に無関心な人もいる。引継ぎというものがない。
貢物を取りに来たタルタル人(清国人)一行が通りかかったので直訴。すると余計に監視が厳しくなる。昔からこういうことは隠ぺいされる。
朝鮮では施しを受けることは何ら恥ではない。そのことを学んでからは交代しながら農村で僧院で乞食行為をする許可を得た。朝鮮に漂着したというだけなのに惨め。だが感情的な嘆き節がまったく控え目。
ハメルは知性も教養もあったらしい。滞在中に朝鮮について多くのことを見聞きし、王と統治、社会のしくみ、役人の実態、刑罰の残虐さ、男尊女卑、などについて見聞きしたものをしっかり書き残している。そうしたことで歴史に名を残した。(朝鮮には自国の社会や風俗について問題意識を持って何か書き残そうとした知識人がいないのか?)
女は奴隷同然だとか書かれている。人間扱いもされていない。奴隷同志の夫婦が生んだ子も主人の奴隷。
夫が妻を殺しても問題ないが、妻が夫を殺した場合、妻は体を土中に埋められ通行人に木の鋸で首を斬られる。恐ろしすぎる。
脛を叩くという刑罰がある。泥棒は足の裏を死ぬまで叩かれる?!
東アジアでは近年まで結婚は親が決めること。だが、既婚者との姦通や駆け落ちした者は裸にされ顔に石灰を塗り、両者の耳を弓でつなぎ(?)、小さな銅鑼を背中に縛り付け、それを叩きながら彼らが姦通者であることを大声でふれながら街中を引き回し、その後で尻を50、60回叩いて罰する。そんな刑罰に関する記述が多い。
学生の任官登用試験について、「この資格を得るために、多くの若い貴族は年老いた貴族になってしまいます」「彼らはそのために必要な出費を負担し、贈り物をしたり、宴会を催したりして非常に少ない財産を失ってしまう」「両親は子どもたちに財産を与え、自分たちは何の官職にもつかずに生涯を終わります。彼らにとって息子たちが資格を得たという評判がたつだけでも嬉しいことなのです」
ここ、現在の韓国中国の学生の過酷で熾烈な大学受験と就職難そのまんま。
その一方で、人々はほとんど僧侶を尊敬していない。どういうことだ?
ハメルくんは23歳から36歳まで囚人のように朝鮮に滞在してたのだが実に多くの情報を得た。
彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていません。したがってある人が取引でだまされた場合、 その取引を破棄することができるという習慣があります。馬や牛の場合は三、四か月過ぎると時効になります。土地や不動産の場合は引き渡しの行われる前であれば破棄することができます。
という箇所は多くの人が引用する有名な箇所。この数百年後も日本国政府と外務省は、この国の人々の本質を理解していなかったことを後悔することになる。
男性は婦人を非常に好み、さらにその上に非常に嫉妬深いので、たとえ親友であっても妻や娘に会うことは許されません。
という記述もある。さらに「喫煙の風習が盛んで、四、五歳のこどもも喫煙する。男女とも喫煙しない人はまれと書かれてる。」「たばこは南蛮から種が日本に伝わり、日本から朝鮮に伝わった。」とも書かれている。
この本を読むと朝鮮の役人たちはみんなテキトーな仕事しかしていないように思える。行政機構も上下の伝達も機能していない。自分の見た所、日本の平安時代レベル。王の気まぐれ統治。
ハメルくんらは「物乞いに全力を尽くして」お金を貯めるw 船を買い入れ仲間を誘い、陽が沈んでから出航。日が昇ると帆を見られる恐れがあるので降ろして櫂でこぐ。3日後に五島にたどり着く。意外に近い。航海士がいると万事うまくいく。
厳重な取り調べの後に長崎へ送られる。ハメルくんの文体が、東インド会社の社員に義務付けられた業務報告日誌。他のオランダ人船員仲間に関する性格描写や記述がまったくない。
容量をえないもので理解しがたい部分もあったのだが、この本の巻末には日本側資料である長崎奉行との通詞を介しての質疑一問一答が掲載。ここを読んで初めて見えてくる部分も多かった。
さらに巻末には朝鮮側資料も踏まえて話を総合的に整理整頓した解説。これが一番わかりやすい。
17世紀朝鮮の記述は貴重だが、作家でもないハメルくんの記述はそれほど面白みもない。知恵と勇気と希望で問題に立ち向かうような、創作物のような、少年ジャンプ的面白さはない。ただ親切な新総督の着任によって事態が好転したりする。外部の環境が変わるのを待つしかない。
ハメル幽囚記と逃亡記はオランダで出版直後に仏語訳、独語訳、英語訳とつぎつぎに出版。明治期にも邦訳が出たし、朝鮮でも仏語訳から訳されたものが出た。日韓両国でそれなりに知られた本だった。
もっと面白エピソードを盛って、ハメル(山田孝之)主演にして福田雄一脚本監督で映画化してほしい。
日本は残虐で酷薄な戦国時代を映画でもドラマでも描いてる。韓国も切れ長の色白美男美女のスタイリッシュ王朝恋愛ドラマとしてでなく、ハメル幽囚記をリアルな現実実写ドラマ化して世界に紹介するべき。
この本の後半はニコラス・ウィットセン「朝鮮国記 北および東タルタリア誌より」(1785)という、同じくオランダ人による謎の国「コレア」について記された文献を収集編纂したもの。
この本でもハメルたちが漂着し13年間幽囚されたことが引用されている。そして、「朝鮮は日本の臣下で服従してる。」と書かれている。
「コレア人は日本人に対するのと同じようにタルタル人のシナの皇帝に対して貢物を送る義務がある。」とも書かれている。
これらは百科事典てきな知識で読んでいてとくに面白いものでもない。朝鮮といえば人参。関する記事はどれも共通。
さらに、巻末にはハメルらが漂着した件についての朝鮮側資料「李朝実録」他、日本側資料「通航一覧」、オランダ側資料「出島オランダ商館日誌」より抜粋。
こういった歴史がオランダ語で書かれて残っている。竹島の件で韓国はハーグの国際司法裁判所を「実効支配してるから」「小和田の影響力が強いから」と言い訳し逃げようとするけど、それはオランダが当時の朝鮮の、道理の通用しない未開ぶりを重々承知してることを恐れているからかもしれない。
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