2022年11月26日土曜日

集英社新書「消えたイングランド王国」(2015)

集英社新書0814「消えたイングランド王国」桜井俊彰(2015)を読む。英国史を理解するためにこの手の本をじゃんじゃん読む。

1066年のヘイスティングズの戦い以後、イングランドはほぼフランス人(それも元をたどるとバイキング)であるノルマン朝となる。現在のイギリス王家の人々まで連綿と血がつながっていく。
だがそれ以前、11世紀、10世紀以前のこととなると日本人のほとんどは馴染みがない。高校世界史ではヘプターキー(七王国)時代はせいぜい2行とか3行ぐらいしか書かれてなかった。

たぶんアルフレッド大王の名前は知ってても、エゼルレッド無策王とかクヌートとか、ゴドウィン、ハロルド庶子王、エドワード聖証王(証聖王?)とか、よほどイングランド王国史に関心のある人しか名前すらも知らないかと思う。自分もつい最近まで知らなかった。(ちなみにアーサー王はケルトの伝説上の王。)

10世紀以前のイングランド、エセックス、サセックス、ウェセックス、ケント、マーシア、イーストアングリア、ノーサンブリアの七王国の名前をすべて挙げられるのはよほど優秀な生徒。たぶんこのころのイングランドは日本で言ったら卑弥呼とその後の倭国大乱みたいなものか?国内でそれぞれが争ってる。
だがやがて、デーン人(バイキング)たちが船団組んで収奪にやってくる。イングランドは戦闘能力に長けたデーン人の草刈り場となる。収奪され街は焼かれ、さらに銀貨を収めないと帰ってくれない。
金を払うしかなく戦わず逃げるようなウェセックスの王からは臣下と国民の心が離れていく。無思慮王とか無策王と後世の歴史家から蔑まれた。

だが、イングランドにも勇猛果敢な騎士はいた。モルドンの戦いにおけるビュルフトノース、イーストアングリアのウルフケテル・スニリング、このふたりを自分はこの本を読むまでまったく知らなかった。この武人についてSNSで触れているひとはこの本を読んだ人だけっぽい。

そして無策王と非難されたダメ王の子とは思えないエドモンド剛勇王もデーン人に対して善戦。
だが、イングランド王にはクヌート以後、ハロルド庶子王、ハルタクヌートと三代デーン人が続く。その間にウェセックス伯ゴドウィンの台頭。

ノルマンディーに亡命していたエドワード聖証王が帰国。この王がノルマン人を重用したのでアングロサクソン人たちから不人気。やがて内乱。
王はずっと表舞台から隠遁。子をなさず、なぜかノルマンディー公国のギョーム(ウィリアム)を後継王に指名。
これ、以前から納得できなかった歴史トピック。ウェストミンスターで戴冠したハロルドを、ウィリアムは外交で包囲。カンタベリー大司教自体が正統でないからハロルド戴冠は無効というロジックでローマ法王の言質を得る。さらに神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の支持も得る。そういうことだったのか。

サンヴァレリ湾から700隻の船団でやって来たウィリアム軍は、ハロルドの軍勢がいないこと幸いにヘイスティングズに陣地を形成。
ヨーク・スタンフォードブリッジでハーラルのノルウェー軍を破った後にハロルドは南下。これが秀吉の「中国大返し」よりも速い?!この時代のイングランドに騎兵はいない?!
ハロルド軍はセンラックヒルという丘に陣地。密集陣形で敵を迎える。これがまる1日かかった戦いだったのだが、最後の最後で敵の矢がハロルドの眼に刺さる不運。ノルマン軍の勝利。

その後、たして抵抗もしないままイングランドはノルマン人に支配される。すでに三代に渡ってデーン人の王に支配されてて、王が外国人でもかまわなくなってた?!
さらにエドワード証聖王の甥エドガーの数奇な生涯を紹介してこの本は終わる。巻末に古英語で書かれた「モルドンの戦い」の詩訳を掲載。

結論から言ってこの本は大変に面白く有益だった。著者は「歴史家」ということだが、その語り口が中学生高校生に語りかけるように優しくわかりやすい。まるでジュニア新書を読んでるかのよう。
いままでこの時代のイングランド国王は活字と記号でしかなかった。どんな王様だったのか?この本を読んだことで初めて活き活きとイメージできるようになった。強くオススメする一冊。

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