2022年11月20日日曜日

中公新書1547「物語 オーストラリアの歴史」(2000)

中公新書1547「物語 オーストラリアの歴史 多文化ミドルパワーの実験」竹田いさみ(2000)を読む。
近年、自分の中でオーストラリアの存在感が増している。たぶん日本にとっても重要度が増している。22年前とちょっと古い本だがここ20年ほどの歴史にはそれほど関心もないのでこれでよい。建国から20世紀あたりまでの通史を知りたくて読む。

オセアニア連盟からAFCに移動してやってきて以来、サッカー日本代表のアジア内での新たなライバルとして存在感が大幅UP。
以前は中国と蜜月だったのに、今では国民の大多数が中国を嫌っている。対中国という国是においても日本の新たなお友だち。
だが、日本人はどのぐらいオーストラリアを知っているのか?オーストラリアの州をすべて言えるか?首相の名前を知っているか?代表的企業名を知っているか?

まず冒頭でオーストラリアには独立記念日や建国記念日というものがないと知らされる。え、そうなの?!建国記念日的なオーストラリアデーは1月26日。1788年にアーサー・フィリップ提督がシドニー・コーブに上陸しイギリス国旗を掲揚した日を記念日としている。

この手の歴史本はたいてい先史時代に人類部族が定住するようになってから書き始めるのだが、この本ではまったく先住民アボリジニについてまったく触れていない。まったくアボリジニが見えていない。見てもいない。

オーストラリアは黒人問題に苦しむアメリカを反面教師として見て学んでいたので、アフリカ系を絶対に入れなかった。
中国人、インド人は廉価な労働力として入れざるを得なかったのだが、固まって暮らしたり街を歩かれるのが嫌だったらしい。移民ではなく契約労働者。とにかくアジア系を国内に入れることに慎重だし恐怖心すら抱いてた?
オーストラリアはつい近年まで白豪主義政策が国是だったわけなのだが、とにかく頑な。

日本人はサトウキビ農園や真珠貝採取などごく限られた場所にしか入れてない。地元民と接触してない。
中国人労働者がプアホワイト層と作業労働で仕事を奪い合うので規制が必要だが、日本人は優秀だから恐れた。そうこの本では何か所にも書かれてる。

この本、前3ぶんの1は移民政策について。歴史の本を読むつもりだったのだが、開拓時代エピソードなど皆無。タスマニア島でアボリジニに対して行った非道など一切皆無で肩透かし。

オーストラリア人の歴史知識を共有するべくこの本を読み始めたのだが、どうやらオーストラリア人は学校で英国史から学んでいるらしい。なにせアメリカのように独立戦争を戦ったりしていない。たぶん英国の海外植民地人としかアイデンティティがない。
1970年代にジョン・カー連邦総督(名誉職だと思われていた)が労働党ウィットラム首相を罷免したことがあったのだが、これにはオーストラリア人も「えっ?!」と驚いたらしい。オーストラリアは英国の慣習法と連邦憲法と2つの憲法が存在する?!オーストラリア人たちもそのへんは手探り感。

日本人は戦後までオーストラリア人を英国人だと思ってた?オーストラリアが連邦国家を形成したのは1901年。連邦政府の役割は移民、出入国管理、国防、電信郵便、灯台ぐらい。あとは6つの植民地政府と州がそれぞれ勝手にやってた。

オーストラリアは19世紀後半になってやっと連邦政府の必要性を認識し運動を始める。(シドニーやメルボルンとは遠隔の西オーストラリア州は連邦加入に気乗りしなかった?!)
国際政治に本腰を入れ始めたのは、南太平洋に列強が進出し始めたから。仏、独、米が島々をそれぞれ植民地化。
クリミア戦争では英国の敵ロシアがオーストラリアにとって脅威。独立国として最初の敵。その後、英国に忠誠を誓う形でボーア戦争にも義勇兵。義和団事件にも出兵。(ニューサウスウェールズ軍、ビクトリア軍、南オーストラリア軍など)

当時は日本が新興国として台頭。不況に苦しんでいたオーストラリアは羊毛や軍馬を輸出したいのに、白豪政策で有色アジア人の日本人ビジネスマンであっても国内に入れたくないというジレンマ。(日本人は特別に商業・教育・観光目的で入国できる日豪パスポート協定が1904年に成立)

日露戦争では英国の同盟国日本を支持。だが、戦後にカリフォルニアの日本人排斥と満洲利権をめぐってアメリカと日本の関係が悪化の一途。オーストラリアは焦る。日本とアメリカが戦争したら英国は日本を支援するの?オーストラリアはアメリカと戦うの?(第3次日英同盟ではアメリカは例外になる)

英国は同盟国日本に極東を任せて主力艦隊を置かなくなる。もし日本にオーストラリア北部を占領されたら?不安になってやっと独自に海軍を創設。
日露戦争後の仮想敵はドイツと日本。第一次大戦ではオーストラリア・ニュージーランドは欧州に義勇兵を送る。(徴兵制はカトリック勢力の反対で実現せず)
4年間で5万6000の兵士が死亡。15万6000が負傷。
それまで外交は英国が代表してたのだが、血を流すと発言権が増す。国際連盟規約がオーストラリアの国名で署名した初めての国際条約。
太平洋のドイツ領の島々は北が日本、南がオーストラリア。ついに日豪は国境を接するようになり以後、日本が仮想敵国。

パリ条約で日本は国際連盟規約に人種差別撤廃条項を入れるよう提案。これにはアメリカも乗り気だった。英国を説得しようとしたらカナダとオーストラリアが強く反対。以後、オーストラリアは白豪主義ナショナリズムが燃え上がり反日。

1942年2月からダーウィン空襲、5月のシドニー湾潜水艦攻撃で日本とオーストラリアは交戦。以後、オーストラリアの国防はアメリカを頼ることになる。シンガポールを放棄した英国との決別を宣言。自国兵士を中東や北アフリカから本土防衛のために帰還させる。ウェストミンスター憲章を批准し英国植民地から完全に独立国となる。
抗日戦を戦ってるのになんでカイロ会談にオーストラリアは呼ばれない?大国主導の戦後秩序に不満。

1944年にニュージーランドとアンザック協定を締結。以後、オーストラリアとニュージーランドが南太平洋島嶼部での安全保障を主導。そして1947年に地域協力機構である南太平洋委員会を設立。大英帝国は溶解していく。国連にも原加盟国として参加。

戦後オーストラリアのイメージをつくったのはメンジース首相。前労働党エバット外相時代にギクシャクした英米との同盟関係を再構築。英米の大国主導の国際秩序を容認。反共主義で自由主義で民主主義においてアメリカの片腕。(朝鮮戦争にも派兵)
好景気に沸くオーストラリアは1956年にメルボルンオリンピックを開催。
オーストラリアは保守系二政党連立と労働党の勢力が拮抗していたのだが、メンジースは社会主義的な労働党を分裂状態にし弱小化に成功。長期政権を築く。
1966年には英ポンドスターリング経済圏から離脱して十進法ドルへ移行。

1957年7月に国内の反対を押し切って日本と日豪通商協定を締結。英国との貿易を見切って日本との貿易に活路。当時の日本は社会党が強くてメンジースはやきもき。
だが、反共のためのベトナム派兵が保守政権の命取り。国内で反戦の機運。

労働党ウィットラム政権で中国との国交正常化。デタント期。東欧、ベトナム、アルジェリア、北朝鮮と次々に国交正常化という独自外交。その一方で対米関係悪化。ANZUS同盟にヒビ。
石油ショック期に日本と経済紛争。3年に満たない間に国内で次々と改革。アジア系移民に門戸開放。歳出が増大し予算案を通せずに総督が首相罷免の大権。

戦後のオーストラリアは国防のための兵員と労働力を確保するために年2%の人口増を計画。イタリア、ユーゴ、ギリシャ、ドイツからの移民増大。都市部でギリシャ人街、イタリア人街が生まれた。
移民審査を熟練労働者のポイント・システム(カナダの制度を参照)に移行。すると副産物として望まない優秀なアジア系が増大し白人系移民が伸び悩む。
結果、白豪主義と決別。南アのアパルトヘイトを批判。ジンバブエ独立の功労者。

ほぼ白人しかいなかったオーストラリアが初めて経験する外国人が1970年代のインドシナ難民。国際社会の圧力もあって多くのベトナム人難民を受け入れたのもウィットラム政権。
続く保守連立フレーザー自由党政権は新冷戦期の長期政権。ベトナム難民を積極的に大量に受け入れる仕組みを作った。ミドルパワー第三世界外交。

ベトナムからのボート・ピープルが大問題。ASEANから「広大な国土を持つオーストラリアが難民を受け入れず平和と繁栄を享受してるのはけしからん」と圧力。ボートピープルを送り出したのはASEANの組織的プレー?!
以後、ASEAN諸国の難民キャンプからインドシナ難民「エア・ピープル」を自国に空輸。
ベトナム人、ベトナム出身の中国人、カンボジア人、ラオス人(ラオ族、モン族)の多文化社会が出現。

1983年からの13年間はホーク=キーティング労働党長期政権。日本と東アジアNIEs、東南アジアASEANとの一体化の重要性を認識。APEC構想にオーストラリアの将来を託す決断。
キーティング政権の外相エバンスはカンボジア和平でオーストラリアのプレゼンスを高めた。

1996年には再び保守のハワード政権。前政権の過度なアジア重視からアメリカと共に「世界の副警察」として軍事介入もするようになる。東チモールPKOではオーストラリア軍が主力。インドネシアとの関係が悪化。ASEAN諸国からも批判される。
君主制から共和制への転換を問う国民投票(1999)を否決。国内にはアジア系移民流入に反対する勢力が増大。さらにASEANからイメージ悪化。

という2000年までのオーストラリア史の流れを押さえる。この本を読んだことで多くのことを学んだ。とくに移民政策。

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