2022年10月11日火曜日

中公新書2678「北条義時」(2021)

中公新書2678「北条義時 鎌倉殿を補佐した二代目執権」岩田慎平(2021)を読む。12月25日の発売だから翌年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に間に合うように急きょ編集されたものかもしれない。やっとドラマ第39回放送前に読み終わった。

自分、近年になって永井路子「炎環」「北条政子」を読むまで、北条義時という人をただ「時政の息子」ぐらいにしか知らなかった。義時(とその息子泰時)はほぼ中世日本における傑出した政治家。

この本は源平合戦以前の朝廷と東国から解説してる。自分にとって一番苦手分野。京都のことも坂東のこともすべては理解しきれない。人間関係を覚えきれない。
北条義時は源平合戦のときはそれほど戦功をあげていないので、この本の前半ではほぼ存在が皆無。
だが、頼家が倒れ比企一族が滅亡するころから存在感がでかくなる。

おや?と思ったのが、亀の前事件。政子が頼朝が囲ってた愛人亀の前を匿う伏見広綱屋敷を襲撃させ、頼朝に髻を切られたのは牧宗親でなく息子の牧時親?!
あと、頼家近習だった仁田忠常は、愚管抄だと、頼家御所で義時に討たれた?!

畠山重忠も謀反の疑いをかけられ滅ぼされ、牧氏事件で時政、牧の方が鎌倉追放、平賀朝雅が討たれた後、政子と義時が実朝を支える体制。
頼家時代にできた13人合議制は、梶原景時、比企能員が内紛で死亡。安達長盛、三浦義澄は病死。中原親能、二階堂行政、足立遠元、八田知家はだんだん活動が確認できなくなり、残ったのは大江広元、三善康信、北条義時、和田義盛の4人だけ。さらに、和田も審議に参加しなくなる。
時政と牧の方の娘が嫁いでいた宇都宮頼綱に謀反の疑いが掛かっとき、それを許したのは義時。鎌倉御家人たちの生殺与奪を握るのはすでに義時。

和田合戦で和田のターゲットは義時と大江広元。これだけ長く鎌倉を支えてきた創業一族が殺したいほど憎しみ合うって悲しい。だが、多くの人を殺してきた因果応報。
え、公暁って「くぎょう」と読むのでなく「こうぎょう」が正しい?!

承久の乱ってこれという合戦をあんまり知らないのだが、それは各地で京方と幕府方とに分かれて戦ったから。「同時多発的に勃発した抗争に勝った側がそれぞれの陣営に順次合流できた」内乱とはそういうものだな。
結果、「複数の上皇の配流が臣下によって決せられることは前代未聞であった」
自分、数年前に佐渡を旅した時、順徳院の墓を見てきた。その時は何も予備知識がなくてあまり感動もなかった。

義時が死んだ後、泰時に権力が移動。それは政子の意志もあったけど、承久の乱での戦功もあった。そもそも泰時の母は出自が不明。(大河ではガッキー)
正室伊賀の方との間には北条政村(後の第7代執権)という子がいたことを初めて知った。大河ではのえ(伊賀の方)を菊地凛子が演じてる。エキセントリックでクセが強い。この未亡人が後に伊賀氏の変の中心人物となる。

「鎌倉殿の13人」はどこまで続くのか?今のところわからない。源氏三代の鎌倉はテロに明け暮れるアフガニスタンだった。現地最高司令官が白昼暗殺されるような危険な土地に幼い我が子三寅(後の九条頼経)を政務担当のために派遣しないといけない九条道家も心配だったろう。

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