前田敬作訳の昭和46年新潮文庫(平成10年37刷)版で読む。
測量師Kは伯爵に呼び出され仕事でその城に向かうのだが、麓の村人たちがKを行かせない。許可が必要だ。それはどこで取れるの?誰も判らない。
村長や教師、色んな人の話を聴く。ぐるぐる同じところにいる。酒場と宿屋と周辺。そこに見えている城に近づけない。なぜか助手をつけられたり監視されたり、城の長官クラムの愛人フリーダとなぜか結婚することになる。仕事で来てるのにいったいなぜ?
読んでも読んでも事態が進展しない。ひたすら内容のあるのかないのかわからない人々の一方的な、説明のような愚痴のような主張を聴かされる。そんなものが510ページも続くという狂気。
これは読者の評価も低くて当然だろうと思われる。自分も満足度は低い。あらすじ書きを読んだとき、ひょっとすると面白いかな?と思った。スティーヴン・キングとかドラマ「TRICK」に出てくる謎の村人みたいなものかも…と。
だが裏切られた。この村人たちや役人たちはいったい何なんだ?いや、それ以上にこの主人公測量師Kはなぜにとっとと諦めて故郷に帰らない?読んでてイライラする。こいつが一番めんどくさい。話がやたら長くて冗長。他に肝心なことがあるだろう!もっと他にとるべき手段があるだろう!
この本は一体何を描いているんだろうか?ひたすら書類と手続きにこだわってたらいまわしにする官僚機構や役所を風刺してるのかな?そんな装置と機構が一体誰のためになって誰を幸せにするというのか?とも思った。
村人たちはべつにこれといって城の役人たちに怯えているわけでもない。秘密警察があるわけでもない。ただ、みんな自分の仕事に強いこだわりとプライドのようなものを持っていそうだ。人間にとって仕事とは?職業とは?
読者をひたすら困惑のカオスに引きずり込む。ああ、この小説は村上春樹のダラダラ長い小説のようなものだなと思った。たぶん、ドストエフスキーとカフカの影響を受けたのが村上春樹。
最終の第20章になっても「いやいや、知りたいのはそんなことじゃない!」ということばかり聴かされる。Kもべつに説明を求めてないし焦ってもいない。もはや城に仕事で行くことはどうでもよくなってる。
最後のお内儀さんの箪笥の中の衣装とか、いったいなんでそんな話で終わるのか?唐突すぎて意味が分からなかった。
ただ、その場その場でのやりとりに面白さを感じたこともあったのだが、それでもやっぱり全体の構成が意味不明。人生とはこういうものなのかもしれないなとため息をつきたくなる読後。焦ってもそこに到達できない、現在地がわからない…という夢から覚めたような読後。もうこの小説は二度と読み返さないかもしれない。
カフカはユダヤ人として、サラリーマンとしての自身の運命と末路、次の時代にやってくるものを感じ取っていたのかもしれない。
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