2022年8月2日火曜日

中公新書2221「バチカン近現代史」(2013)

中公新書2221 松本佐保「バチカン近現代史」ローマ教皇たちの「近代」との格闘(2013)を読む。何かを取り戻すかのようにこの手の本をじゃんじゃん読む。

イタリアの中になぜ独立国家が存在するのか?バチカンの生き残りをかけた200年を描く一冊。
バチカンの近代化の歩みが始まるのは、1648年、ウェストファリア条約の締結からである。これは多くのヨーロッパ諸国を巻き込んだ三十年戦争の講和条約だったが、その結果、カトリックとプロテスタントという両宗教の同権が認められ、バチカンの権威は低下する。ここからバチカンは、自らの威信回復のために動きはじめる。
フランス革命が最初の試練。ナポレオンのローマ侵攻。ピウス6世の逮捕と連行。
1801年、ナポレオンとピウス7世の間でコンコルダート(政教条約)を締結。外交によって双方が国家と宗教の棲み分け、自由を保障。
フランスとオーストリアがイタリアをめぐって対立。英国外相パーマストンは教皇領問題を「ヨーロッパのアキレス腱」と呼んだ。
超保守派グレゴリウス16世は教皇領内を鉄道が通ることすらも拒否?!

1846年穏健自由主義で親フランス派ピウス9世の誕生を世界は歓迎。革命政治犯を恩赦釈放したことにオーストリアは不満。この教皇がリソルジメントと直面する。オーストリアへの対応がイタリアで人気。イタリアのナショナリズムに担ぎ出される。だがこの法王は逃亡と幽閉、屈辱の最期。

イタリア王国とバチカンは20世紀まで対立。王国皇太子の婚礼は非カトリック色。葬儀もキリスト教化する以前のローマ・パンテオンで。
ガリバルディ騎馬像や初代首相カブール像はバチカンの反対を向いて建てられた。バチカンの敵フリーメーソンの新古典主義様式で?!

教皇の頼りはオーストリアだったのだがオーストリアとイタリアが同盟を結ぶと外交的に孤立。するとフランスを頼りにする。レオ13世はドイツ、英国と友好回復。南米とも国交。

対一次大戦でイタリアは三国同盟側に立つはずが協商国側に寝返って対オーストリアに宣戦。バチカンはカトリックのオーストリアを弁護せず戦争反対の立場。ベネディクト15世は独墺仏の間の和平に動く。

ヒトラー、ムッソリーニと政教条約を結んだのがピウス11世。カトリック国ポーランド独立を支持し「共産主義は伝染病」だとソ連を嫌う。ナチス・ドイツが共産主義と対抗しうる勢力と認識。
後任のピウス12世も同じ。1929年、ガスパリ国務長官ムッソリーニとの間にラテラノ条約締結。これによってバチカン市国が誕生。

カトリックのポーランドの消滅は苦渋だが共産主義と戦うドイツの側に立つ。冷戦後にはピウス12世は「ヒトラーの教皇」と呼ばれるようになってしまう。
バチカンは満洲国を承認していたことも有名。ソ連と立ち向かうバチカンとしては一貫してる。あと、バチカンと米国の関係が薄い。

史上最高齢76歳で即位したヨハネ23世は500年ぶりに公会議を開催。バチカン近代化をさらにすすめる。第二バチカン公会議の写真を見るとそれはニケ―ア公会議をスケールアップしたようなもの。それは正教やプロテスタント、ユダヤ教との和解。エキュメニズム。

ローマ教皇になるとイタリアどころかバチカンから出られない?史上初めて飛行機に乗った法王がパウロ6世。エルサレムを訪問。(ヨハネ23世はロレト巡礼のために汽車に乗っただけで大騒ぎ?!)
パウロ6世から世界各地を訪問するようになる。時代は東西冷戦。東欧カトリック国での信仰の自由の危機。ベトナム戦争をめぐって和平のために動く。

ヨハネ・パウロ2世は史上初めてポーランドから選ばれた教皇。それまではイタリア人以外の教皇は8世紀のグレゴリウス3世(シリア)、15世紀のアレクサンデル6世(スペイン)、16世紀のハドリアヌス6世(オランダ)の3人しかいなかった。

ソ連の圧力がかかるポーランドで自由を口にすれば命がけ。ヨハネ・パウロ2世はポーランドを訪問。KGBやポーランド秘密警察が阻止に動くも大人気で入国を阻止できず。東欧がつぎつぎと自由化していったのはヨハネ・パウロ2世の貢献。西側首脳と緊密に会見したり相互に大使を交換しあうようになったのはこの教皇から。世界に影響を与えた。(なのでソ連から命を狙われた)

この本はベネディクト16世の退位とフランシスコの即位で終わる。歴代ローマ教皇がどんな外交をしていたのかを把握するのに最適な一冊。

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