樋口有介「風少女」(1990)を2007年創元推理文庫版(大幅に改稿した決定版とある)で読む。
これはたまたま立ち寄ったBOが半額セールやってたので、文庫棚を隅から隅までじっくり見て選んで買った一冊。55円。
これを読もうと思った理由は裏に書いてあるあらすじを読んで。
「赤城下ろしが吹きすさぶ風の街・前橋を舞台に、若者たちの奇蹟を活き活きと描き上げた、著者初期の代表作。」
とあったから。この作家は群馬出身の団塊世代。自分も過去何回か前橋周辺には行ったことがあるので興味を持って手にとった。
主人公斉木亮は父危篤の報を受け、赤城おろしの吹き荒れる二月の前橋に帰郷する。
駅で女の子から声をかけられた。かつて好きだった川村麗子の妹・千里(女子高生)から。数日前に姉が睡眠薬を飲んだ後に風呂に入って転倒し頭を打って溺死していたことを知らされる。警察では事故死として処理。
斉木は納得できない。「自分がかつてあれほど好きだった、美人だった麗子の死に方としてそれはふさわしくない。」
で、かつての高校の同級生たちを訪問して聴き取り調査。
警察が見逃したことがあるのでは?と、20歳そこそこの三流大学生が探偵のごとく事件を調べて回る。
樋口有介の文体はハードボイルドのそれ。まず、登場人物のほとんどが21歳か高校生なのに、喋り方がぜんぜん子どもじゃない。クールでニヒル。ほぼみんな社会の現実と人生に疲れ切った40代のような話しぶり。男女の事がわかりすぎ。思慮分別がありすぎ。
嘘だろ。20歳って、好きなアイドル歌手とかマンガとかテレビとかそんな話しかしてないぞ。女子だってもっとキャッキャしてるぞ。
青春ミステリー小説としてはそこそこ。だがこの本の価値は、風の街・前橋での青春ミステリーだということ。ほぼ前橋の中で起こる青春人間模様。
ドラマや映画だと登場人物たちが一流の名門校とか、親が金持ちとかばかりというものが多いのだが、そんな人は誰も出てこない。普通に人生に挫折した庶民若者のみ。
戯曲としての会話センス。とにかくアメリカ文学っぽいしハードボイルド探偵ものばかり読んできた人のしそうな会話。十代の子が読めば「こんな会話がしたい!」と憧れるにきまってる。
期待したクオリティとボリュームで期待したものが出てくるほろ苦い青春ミステリー。直木賞の候補作にもなったそうだから、これまでにそれなりに多くの人に読まれた作品だろうと思う。
「初恋よ、さよならのキスをしよう」は38歳になった高校生たちの物語だが、「風少女」は21歳になった高校生たちの物語。
たぶん前橋市民はより楽しめる。だが、巻末のあとがきで作者は書いている。「たまたま前橋が故郷だっただけ」「歴史も文化も何もない。愛着もない。」「実家を離れて東京へ出たときはほっとした。」「この本を読んで、ちょっと前橋に行ってみようかなどゆめゆめ思うな」と辛辣w
これからは前橋と聞いたらこの小説を思い出すようになるかもしれない。「風の街」といえば前橋!
これまで読んだ樋口有介作品の中でこれが一番好き。樋口有介がぜんぜんドラマや映画になってない理由って何?と思った。いったいなぜ樋口有介は東野圭吾のようになれなかったんだろう。
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