2022年8月25日木曜日

レマルク「西部戦線異状なし」(1929)

レマルク「西部戦線異状なし Im Westen nichts Neues, 1929」を読む。秦豊吉訳の1955年新潮文庫の2007年新装版で読む。

これも110円で購入。自分、たまに110円だけ握りしめてBOに行って何か1冊買って帰ってくるというお金のかからない趣味を持っているw ドイツ文学を読むのはたぶん学生の頃以来。今出てる新装版は1ページあたりの文字数が少なく活字が大きくて読みやすい。

エーリヒ・マリア・レマルク(Erich Maria Remarque, 1898 - 1970)はオスナブリュック(ニーダーザクセン州)の労働者階級に生れたドイツ人。名前の綴りがドイツ人らしくないのだが、これは本人がフランス風に改名したものらしい。第一次大戦に従軍した戦場体験記を書いてベストセラー。映画にもなった。だがドイツが右傾化しナチスが台頭すると身の危険を感じてアメリカへ亡命。

ドイツ軍の志願兵パウル・ボイメル目線の第一次大戦のドイツ西部戦線。友人たちはみんな19歳。戦場に教科書を持って来てたりするのがドイツ人。
第一次大戦はじつは英国やフランスは第二次大戦よりも死亡した兵士の数がかなり多い。もちろんドイツもかなり多い。
そして塹壕戦。しかも毒ガス戦。毒ガスは低い穴に溜まるのだが高い場所へいくと砲弾。どうしようもない。

粗末な食料、性格の悪い上官、糞尿、虱、食料のパンを奪う鼠、棺桶と死体袋、仲間の死は明日は我が身。
貫通銃創を負って脚を切断される若者。腰骨が砕けあと1日2日の命のかわいらしい金髪少年兵、塹壕から出たくて精神が狂う塹壕病。日本人があまり知らない塹壕戦の世界。(ノモンハンで戦った日本兵は塹壕戦をしたらしいのだが)
負傷した馬の叫び声を農民の兵士は聴いていられない?楽にしてやるためにすぐに始末。

鋸刃が付いた銃剣を持っていると、敵に捕まったら鋸刃で鼻を切り落とされ目を繰りぬかれ口にはおが屑詰め込まれ惨殺されるから、普通の銃剣と取り換える?など現場の人間しか知りえない知恵。地獄。
食料にチーズが出されると突撃が近い?など兵士は食料には敏感。

新兵がくると世話でかえって骨が折れる。1古兵に新兵が5人から10人。猛烈な戦場では手も足も出ずに蠅のように死んでしまう。榴散弾と炸裂弾の音の区別がつかず死んでしまう。防毒マスクをはずすのが早すぎて死んでしまう。とかも最前線兵士ならではの学習能力。

気付いたら中隊が30人ちょっとになっていた。主人公は休暇で一時帰郷。威張った憲兵みたいなやつ呼び止められ敬礼をやり直したりさせられる。
銃後の人々の生活も食料物資不足で困窮。第一次大戦中からドイツ国内がこんな状態なら、戦後の都市部労働者はもっと惨めな暮らしだったに違いない。
戦友の死を報告に行ったら母親に「なんでおまえは生きている?」とか罵られる。理不尽。こんなことなら報告に行くな。これと同じようなシーンを「男たちのYAMATO」という映画でも見た。

軍服装備もみすぼらしい。カイゼルが視察に来るというので新品の軍服を支給されるのだが、カイゼルが帰ると軍服も返却?みてくれ重視の泥縄。

あとはひたすら戦場の惨禍。弾や砲弾が当たるか当たらないかは運しだい。ドイツ兵の死、敵フランス兵の死、転がる死体。疾病兵であふれる野戦病院でも仲間たちの死、級友の死といった悲惨な場面とエピソード。19歳20歳でこんな目に遭うとか今では考えられない。

フランスの村での略奪(寝具とか子豚とか)、避難民の様子とか、そのまま今のウクライナと同じだと感じた。
兵士にはなりたくないものだ。避難民になるよりも確実に悲惨。今現在ウクライナで戦っている男たちもみんな普通の市民。この本と同じような目に遭ってるかもしれない。

訳者あとがきによれば、秦豊吉氏は昭和8年5月にスイス・アスコナでレマルク氏を訪問面会したそうだ。満州事変に揺れる日本と国連について質問するも「日本のような遠い国のことはわからない」と無関心だったとのこと。

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