2022年2月9日水曜日

僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46(2020)

僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46(2020 東宝)を今さらながら見る。製作は今野義雄。監督は高橋栄樹。
2016年4月のデビューからバックステージ未公開映像、ライブ映像、メンバーインタビューで構成したドキュメンタリー映画。
コロナイヤーの2020年4月に公開される予定だったのが延期。7月の無観客ライブで「前向きな終止符」を宣言した後の9月4日になって公開。その間にさらに激動。

この映画を見ることは今もつらい。メンバーが何か目標とか夢とかを達成していく栄光の場面が皆無。最初から歯車が軋んでる。人気絶頂だったのに内部崩壊していった様を見せられる。メンバーの両親にとっても喜べない内容。
エースでセンターの平手友梨奈がもうずっと長い間精神が不安定。そしてついに、「今は話したくない」と自身のラジオ番組で捨て台詞を残して去って行ったのが2020年1月23日。リアルタイムで欅坂を追いかけていた者たちは連日恐ろしいものを見せられていた。

メンバーインタビューが見ていて楽しいものではない。言葉を選びながら訥々と語る。これを見ることは苦行。みんな敗者の弁。
菅井の涙が見ていてつらい。みんなさえない表情。自分を責めるな。カメラの前で泣かすな。
「欅って、書けない」は相変わらず面白かったけど、メンバーたちは表面上は笑っていたけどなにも楽しくなかったかもしれない。
欅坂はデビュー曲から大ブレイク。「サイレント・マジョリティー」を聴くと今も震える。とてつもない名曲。これを初めて聴いたとき、欅坂の今後に胸が高鳴りワクワクした。輝かしい未来が待っていると思ってた。

2ndシングル以降の楽曲で進むべき路線を模索した。世間の反応を見て選んだのが、自身の重力崩壊を招いた魔曲「不協和音」だった。

この映画が東京ドーム花道ステージから平手が転落する場面から始まって、その直後にデビューしたころの初々しさいっぱいの平手を映すとか、そのへんのコントラスト落差がエグい。初期平手さんは今泉と仲がよかった。
90年代後半からアイドルグループは、オーディションの様子やアイドル本人の裏面の苦悩と成長をドキュメンタリー形式で公開することによって、視聴者とファンの共感を得ていく…というスタイルが定着。その最終形態がAKBグループと坂道グループ。韓国女性アイドルグループもそうかもしれない。
この方法が多くのアイドル志望の女子たちを手っ取り早くスターにする唯一の手段。共感は強い支持へと繋がる。

平手なしで名古屋公演しないといけなくなって、ショックでふわふわしてるメンバーに発破をかけるにしても、「平手がいないとダメになるのか?」という言い方は酷いと感じた。そうさせたのは大人たち。もう遅い。
平手が「距離を置く」とメンバーに告げる場面はショック。いつか来ると予想はしていてもみんなすすり泣き。誰も平手を責めない。みんな優しい子たち。
欅坂の絆を決定的に破壊した9thシングル選抜発表がこの映画で一番印象に残った場面。これが「僕たちの嘘と真実」の真実。実はこんなことが起こってました…という。平手と運営スタッフの溝をさらに深く広げた。
自ら望んで選んだわけでもない路線を突き進み、疲弊していったグループを象徴するシーン。平手の目が死んでる…。

小池と鈴本のなげやりな表情。(平手脱退と同時に即日卒業が発表された鈴本はインタビューに登場しない)

坂道グループのメンバーたちはよく教育されているのか、大人たちへの不平不満と呪詛をカメラの前で述べたりしない。むしろ自分を責める。そこは感心もするのだが、運営を批判する場面があったらカットされたに違いない。
ポスターのビジュアルを見て受難劇だと感じた。一番苦しんだのが平手。そしてそれを傍らで見ているしかなかった菅井らメンバー、その家族も被害者。
現場スタッフも「どうしてこうなった?」と焦燥しただろうと思う。とくに少女たちの傍らについてマネジメントしていた女性マネージャーたちは毎日が混乱の極み。

とかく批判されがちなのが「運営」と呼ばれる偉い人たち。決められた新曲リリースの間隔と話題作り。その場その場で考えながら、世間の反応見ながら様子見ながら、彼女たちがアイドルとして輝けるようにできるだけのことはしたんだろうけど。
ステージ上で何度も転倒を繰り返す平手、ボロボロになって嗚咽する平手を何度もステージに無理やり立たせた大人たちの残酷さを感じた。

「僕たちの嘘と真実」の「嘘」ってなんだ?アイドルに憧れて加入した少女たちに等身大の姿からかけ離れ過ぎた楽曲を歌わせすぎた。
そのクオリティが高かったことは認めるけど、その路線を進みすぎたように感じた。初期乃木坂みたいにワンピースでゆらゆら揺れていただけでも良かったのに。自分としては欅坂のピークは「二人セゾン」だった。
この映画の監督にどれだけ撮り方の自由と権限があったのかわからないのだが、「大人の責任とは?」という問いかけは痛烈に感じた。ただ、それは振付師の先生に向けて言う事じゃない。今野と秋元、運営スタッフたちにも聴いてみるべきだった。

ラストライブの菅井の震えながらの涙のスピーチは見てらんない。ここは涙なしに見られない。
けど、櫻坂という改名と存続は良い手だったと信じたい。欅坂は建国神話として多くの人々の記憶に残った。

ただもう自分は櫻坂のライブコンサートがあっても行くことはない。2周年アニラと2度の欅共和国の想い出で自分は生きてる。幸いなことに「そこ曲がったら、櫻坂?」がある。
平手がすべての真相を話す日はまだまだ遠い気がする。数年後かもしれない。十数年後かも知れない。おそらく、脱退と言う言葉を使ったのは、運営スタッフたちとの信頼関係が完全に断たれたからだろうと思う。

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