2022年3月2日水曜日

シェイクスピア「じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ」

シェイクスピア「じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ」福田恆存訳新潮文庫版で読む。

まず「じゃじゃ馬ならし」を読んだ。結論から申し上げて、この習作コメディー戯曲を現代日本人が読んだとしても、何も面白くないだろうと思う。習作にしても共作者の加筆があって物語が破綻していたとしても、それ以外の要素も大して面白くない。
構成自体がおかしい。芝居が成立していない。飲んだくれ男を領主が拉致してきて殿様にして芝居を見せるくだりはまったく必要を感じない。その回収もしていないし。

この時代のイタリアの結婚がどういうものか知ることはできる。姉妹の妹が美人で求婚者があまたいても、姉が先に結婚しないと妹は結婚できない?!
求婚者は財産自慢合戦。証人も偽物をでっちあげることができるし、身分証もないのでなりすましも可能。そんな茶番劇。呆れた。

じゃじゃ馬娘の話だと聞くとなにやら面白そうな予感もした。だが、女性が男性に逆らうことなどまったくできなかった時代。ただただ相手に反論と考える余地を与えずにひたすら頭ごなしに罵倒して「馬」のように扱い手なずける。これが現代社会で読まれるはずがない。あまりに異常な内容でまったく理解できなかった。

一方で「空騒ぎ」は普通にイメージしやすい。話がすっと入ってくる。シシリー島メッシーナの上流階級の結婚話。悪戯の限度を超えた誣告で花嫁を罠にかけ、結婚式の最中に破談(卒倒し死亡?)になる酷い話。
真相を確かめもしないで新婦を結婚式の真っ最中に罵るクローディオーは紳士と言えない。

喧嘩ばかりのカップルが結ばれてハッピーエンドではある。このカップルは現代的アレンジをすれば現代日本人が見ても面白い芝居にできるかもしれない。
「ベアトリスとベネディクト」という名前を見て、自分は「あ、ベルリオーズのオペラだ!」と気づいた。「空騒ぎ」を原作とするオペラだったのか。

16世紀に書かれた戯曲を現代の映画の脚本のように考えてはいけない。そのままではやはり物語の細部で疑問点だらけ。読んでる途中で「え?」となってページを戻ることしばしば。それでいてやっぱり答えがでない。

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