2022年2月6日日曜日

カミュ「カリギュラ・誤解」(1944)

カミュ「カリギュラ・誤解」を新潮文庫版(昭和46年)で読む。これでカミュ3冊目。今回は戯曲2篇。では順に読んでいく。

カリギュラ(Caligula 1944)渡辺守章訳 全4幕
そんな名前のローマ皇帝もいたなぐらいの知識しかない。ローマ帝国第3代皇帝。
初演は1945年パリ。初演はなんとジェラール・フィリップ。
本書訳は1958年プチテアトルドパリ上演用の版による。

最愛の情婦ドリュジラが死んでしまった悲しみでカリギュラは心を病んでる?臣下の目を盗んで外出しさ迷い歩くところをローマ市民に目撃されてる。

で、3年後…という戯曲。若くして邪知暴虐の王。貴族や臣下のものをきまぐれで殺す。無茶な政策を思いついて命令を出す。
カミュはスエトニウス「十二皇帝伝」に典拠してキャラ設定したらしいが、この芝居に史実は関係ない。そもそもカリギュラ帝は同時代の記録があまりなく、政治的公平性を欠く記述しかない。

詩人少年シピオン、情婦セゾニア、臣下ケレア、エリコン、そして貴族たち、という登場人物たちとのやりとり会話。
カリギュラくんの乱暴狼藉と乱痴気には本人成りの理屈がある…というような芝居。そして皇帝暗殺の陰謀と悲劇。

1回読んでからまた2回3回とパラパラとめくって、ところどころ声に出して読んだりしてみた。芝居ってそんなに読み込もうとしても無理。聴衆の魂をなんとなくゆさぶる熱いセリフと名言。きっと役者が目の前で熱演していれば傑作かもしれない。「死」をテーマにした詩作大会がバラエティ番組のゲーム大会のノリで可笑しかった。

誤解(Le Malentendu 1944)鬼頭哲人訳 全3幕
田舎の旅館兼食堂。母と娘マルタで切り盛りしてるのだが、今夜泊まる男を殺して金を奪い、太陽の海辺の街へ行こうと話してる。
そこに自称ボヘミヤ人の旅人がやって来るのだが、実はこの男(ジャン)はこの家を出て成功し20年ぶりに故郷に帰ってきた息子だった。妻マリヤを別のホテルに待機させて。

娘マルタと旅人ジャンの会話からして面白い。マルタは徹底ドライ。宿屋としてお客の話を聴いたりする義務があるが、同情されたり心の話を聴いたりする義務はない。客は客らしくしてくれ。それ以上の関係は持たないと釘をさす。

そして母娘は男を睡眠薬で眠らせて川に棄てる。
だが、パスポートからその男が息子だったと知った母も後を追うように自死へと向かう。残された娘マルタ。
そこに夫が戻らないと妻マリヤがやって来る。マルタは殺したと告白。マルタとマリヤの直接対決!

ヨーロッパ内陸国で生まれ育ち、太陽と海辺の街を渇望しながら、兄のように世界を知ることもできず、取り残されたマルタの絶望と心の闇。実録犯罪人間ドラマ。
母、マルタ、マリヤと3人の名女優をそろえる必要がある。それぞれに見せ場モノローグがある。神への救済を求めても無常に拒絶されるラストには誰しもが絶句。

自分としては「カリギュラ」よりも「誤解」のほうが悲劇ドラマとして高評価。味わいと余韻がある。劇作家アルベール・カミュの偉大さを思い知った。この本はずっと手許に置いておきたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿