2022年1月8日土曜日

松本清張「暗い血の旋舞」(昭和62年)

松本清張「暗い血の旋舞」を読む。昭和62年に日本放送協会出版から単行本。1991年に文春文庫化。これ、清張の作品の中でいちばんタイトルがかっこいいw 

木村毅「クーデンホーフ光子伝」(1982)と、光子の息子リヒャルト・クーデンホーフの回想録に書かれていることを清張先生ならではの目線で読む。
杉田とマキという人物を登場させ、一緒に調査するというスタイルで光子の謎に迫る。オーストリアとチェコを旅して現在と過去を行き来する。

オーストリア・ハンガリー帝国の歴史をおさらい。皇帝とその名門貴族たちの歴史を遡る。
おそらく多くの日本人にはこのへんの歴史はちんぷんかんぷん。高校時代に世界史を学び、日々歴史に関心を持っていても中欧の土地カンと歴史は皆目わからない。

明治28年にオーストリア・ハンガリー帝国駐日代理公使ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵は東京府牛込区納戸町の骨董商青山喜八の娘光子と結婚。
当時日本に駐在していた外国人たちには「現地妻」日本人女性はいたりもしたのだが、光子の場合はヨーロッパ貴族との国際結婚。それはたぶん本物の愛。

オーストリア公使館で小間使いのような仕事をしている間に二人も子どもができてた。本国に帰国するときに結婚届け。日本を離れる際には皇后陛下に拝謁し扇子を贈られる。
オーストリアハンガリーの一部だった領地ボヘミア・ロンスペルクへ渡る。すらっと背が高く華やかで美人だった光子は社交界の華。
ウィーン社交界では世界各国の人がいたのだが特に日本人はめずらしい。好奇の目で見られもしたのだが、当時のウィーンではコスモポリタンであることが貴ばれたために、アジア人だからと差別はされなかったらしい。

だがしかし!光子がウィーン社交界の花だったというのは事実ではない?!それどころか、クーデンホーフ家は南ボヘミア領主どころか、母(ギリシャ系)の代からの大地主?!
次男リヒャルトは参照した資料を挙げずに、ただ自分の主観で自分の家を名門として盛って回顧録を書いた?!一方で三男ゲロルフが自費出版した回顧録は客観的でクーデンホーフ家の実態に正確?!

サラエヴォで暗殺されたフランツ・フェルディナンド皇太子の妃ゾフィーの出身貴族ホテック家のことですらよくわかっていない?!

神聖ローマ帝国、フス戦争、ヴァレンシュタイン、オーストリア・ハンガリー二重帝国、マリア・テレジア、フリードリヒ大王、オーストリア継承戦争、シレジア、ズデーテン、バイエルン、普墺戦争、普仏戦争、コシュート、どれも世界史で聞き覚えた言葉だが相互のつながりを断たれた状態だった。
オーストリアがどんどん落ち目になっていく歴史。清張先生の本でいろいろと思い出すことができた。

杉田という作家がオーストリアとチェコ、ハンガリー、バルカンの歴史をあれこれ考える…という構成。作品としてまとまりのない散漫な印象。とりあえず調査したことは原稿に書いたという印象。あまりオススメできない。

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