2021年12月10日金曜日

本間九介「朝鮮雑記」(明治27年)

本間九介「朝鮮雑記」クリストファー・W・A・スピルマン監修解説(祥伝社 2016)を読む。
東京経済大学桜井義之文庫蔵「朝鮮雑記」(明治27年刊)の現代語訳と補注解説付き。これ、存在は知られていたものの長らく一般には読まれていない本だったらしい。
監修をしたスピルマン氏はポーランド出身で九州産業大で教授を務めた人らしい。

著者の本間九介という人物の経歴がよくわかっていない。日清戦争中に二六新報特派員として李氏朝鮮末期の京城に滞在し、民衆と両班の暮らしぶりを書き残した。間諜や壮士のたぐいの人物であった可能性もある。

二六新報1894年4月17日から6月16日まで掲載されたもの。当時の朝鮮庶民には文字を書き残すことができた人はほとんどいない。新聞自体が日本語紙2紙しかない。
両班という人種は1日中長い煙管を吹かせているだけでなにもしなかった人々。国を憂いたり改革を建白したりもしない。何も書き残さない。イザベラ・バードの「朝鮮奥地紀行」(1898)よりも4年早い刊行。なので本間の残した記録はとても貴重。

この本、多くの人が「韓国人は読みたがらないだろう」「朝鮮人をディスってる」などと気をまわしてる。清国の属国だった李氏朝鮮の民衆の悲惨な暮らし。酷い衛生状態。妻を客に娼妓として差し出す亭主。汚職と賄賂の腐敗しきった絶望社会。その辺はバードさんの記した朝鮮と整合してる。

しかし、著者が批判してるのは両班や役人、社会制度。宿の主人に有り金全部要求され「強欲だ!」と憤っていたら、大金を持ったまま寝ると危ないから預かってただけで実は親切心だったとか、褒めてる部分もある。
韓国人もこの本を読むべき。日本人だって終戦まで地方の田舎は酷い暮らしをしてた。蚤、虱、蚊が異常に多くて進駐軍がやってきたときにまずDDTを散布された。貧しいと不潔なのは致し方ない。卑下することはない。

この当時から朝鮮の両班老人は筆者に壬辰倭乱(文禄・慶長の役)での歴史認識で論争をふっかけてきてる。朝鮮では秀吉を追い返して勝利したことになってる?
秀吉以前の朝鮮では水田に籾種を撒いて秋の収穫を待つという稲作栽培だったってマジ?

清国人のほうが数が多く、商売においても優秀で日本人居留民を圧倒。数少ない日本人警官はいばってるだけで日本人と清国人の間の暴力トラブルに何もしない。この当時の朝鮮民衆も日本人を酷く蔑んでいたらしい。

米穀を運搬していた日本人商人の船が通過する県で止められ、韓人たちから売るように強要されている現場を目撃。「他人に依頼され運んでるものだから売れない」「では私たちが餓死してもいいのか?人非人だ!」と的外れな論点から多人数で責めるとか、相手が日本人だと強く出るのが韓人。今も昔も変わらない。

多くの人が「何かくれ」と言ってくる。ある両班に「なんでみんな乞食みたいなこと言うの?」と質問したら、恥ずかしそうに「あれ、ジョークみたいなもんだから」と言い訳。

仏教と僧侶が軽んじられて蔑まれている。生活行動規範がすべて儒教。日本人と韓国人はかれこれ150年間相互に理解不能なのも納得。

「英国人の1日のタバコ代が高額で贅沢。英国の滅亡は近い。」とか言ってる韓人がいる。本間「自分の価値観で他人を推論し一日五十両の煙草代を驕奢の極みと叫ぶ。その井の中の蛙ぶりは一笑に付すべき」この人はいろんなものがよく見えている。

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