松本清張「時間の習俗」を読む。すごく久しぶりにBOへ立ち寄ってこれ1冊だけ買った。100円。昭和51年の第13刷というとても古い文庫本。現在刊行されているものよりも装丁に味わいがある。だが、読んでるうちに落丁していった。読み終わったので修理しないといけない。
門司港近くの和布刈神社で、旧暦の大みそかから新年にかけて行われる神事の場面からこの小説は始まる。和布刈神社には清張の文学碑が立っているらしい。
そして相模湖湖畔で中年男性が絞殺された。一緒に旅館で休息していた若い女性の行方は?男性は旅客業界の情報誌出版業。とはいっても恐喝的な業界紙ゴロではなく良心的な経営で敵が見当たらない。捜査一課は女関係を洗うのだがまったく出てこない。容疑者のひとりすら浮かんでこない。
東京警視庁捜査一課の三原警部は、被害者男性の告別式参列者の中に事件当夜に九州にいたという完璧なアリバイがあるタクシー旅客会社専務の峰岡に注目する。なにも怪しい点はないのだが三原警部は峰岡の話が本当かどうかを福岡警察署の鳥飼警部に調査協力。
三原と鳥飼、このふたりは「点と線」のコンビだ!そしてこの「時間の習俗」も「点と線」と同じく雑誌「旅」に昭和36年から翌年にかけて連載されたもの。
「点と線」のように、三原は飛行機の時刻表をにらめっこ。東京羽田、大阪伊丹、福岡板付。博多、小倉、門司の交通移動を考える。
相模湖畔で夜9時から12時の犯行時刻に男性を殺害した犯人が、翌未明の和布刈神社での神事を写真に収め、翌朝小倉の旅館に行けるだろうか?
なぜ被害者とそれほど親しくもなかった九州出張中の峰岡に社員がわざわざ事件を電報でしらせているのか?電話で済むのに。
この小説も昭和30年代の常識がわからなくなってる現代人にはいろいろ注釈が必要。
「東京と小倉は直通区域」という台詞が出てくる。この時代は長距離電話が直通できるエリアは限られていたらしい。
電報は本人に届くまで2時間かかる急報でも20字160円だが、長距離電話は1通話480円。節約したといわれれば、それまでだな。
フィルムの撮影の順番からいってやっぱり本当に神事を撮影してたのでは?テレビを撮ったのでは?映画を撮ったのでは?と三原は考えるも一蹴される。あと、フラッシュ撮影というものはこの時代のカメラでは連続で何枚も撮れない。
あと、この時代はまだカラーフィルムは東京工場に送らないと現像もプリントもできなかった?
やがて水城で若い男性の遺体が掘り起こされる。峰岡が供述してた太宰府都府楼跡から近い。
西鉄バス定期券と俳句同人誌の件で浮かび上がった人物の命も危ない?!
自分、好んで古い小説を読んでいるのだが、この小説は「点と線」以上に時代を感じた。この時代を生きた人しかイメージできない要素が多い。
そして三原警部に呆れる。たまたま思い付きが当たったけど、こいつは日本中の誰でも犯人に仕立て上げることができるのではないか?
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