2021年10月21日木曜日

三島由紀夫「鏡子の家」(昭和34年)

三島由紀夫「鏡子の家」(昭和34年)を新潮文庫版(平成26年57刷)で読む。第一部と第二部に別れて刊行されたものだが新潮文庫は1冊にまとまってる。三島にしては長編で621Pにおよぶ。

「鏡子の家」は昭和30年代の社会を描きつつ、離婚して幼い娘と暮らす資産家有閑マダム鏡子の家に集まる客人たち青年の群像劇?

商社の有望社員清一郎、ボクサー大学生峻吉、画家の夏雄、売れない劇団俳優の収。それぞれの日常が描かれる。それぞれがあまり絡まない。

勝鬨橋のハネ橋が上がって車や都電が止められる描写とか、車を乗り回してる若者たちに土工が「ブルジョア!」と罵声を浴びせるとか、月島の向こう側が埋め立て地とか、信濃町や深大寺の周辺の様子とか、第5福竜丸の被ばくでマグロ価格が暴落しただとか、指揮権発動した犬養法相への批判とか、吉田内閣総辞職だとか、マレンコフ辞任だとか、三鷹事件の竹内被告に死刑判決とか、朝鮮戦争以後の時代の雰囲気は感じられた。

この当時の三島は34歳。肉体改造に取り組む劇団員収には三島本人が垣間見える。ボクサー峻吉のボクシングの試合の描写にも感心した。

あと、借金の取り立ては法規制がなかった?容赦ないなと思った。
50年代にニューヨークで日本人コミュニティができてるとこは興味深かった。

正直それほど面白くない。「カラマーゾフの兄弟」を読んでいるときに感じた困惑。
今まで読んできた三島の小説はどれも必ず感心することが多かった。この小説には他作品ほどの魅力を見出せなかった…。何か散漫なドラマを見せられているよう。

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