2021年10月24日日曜日

の・ようなもの のようなもの(2016)

「の・ようなもの のようなもの」(2016 松竹)という映画を見る。松山ケンイチが落語家の主人公を演じている。北川景子も出ているので見る。
森田芳光監督のデビュー作「の・ようなもの」(1981)の35年後を描く続編。(自分はその映画を見ていない)
1981年の主演伊藤克信も出演。監督は杉山泰一。脚本は堀口正樹。

脱サラして落語家に入門するも、まったく才能がなく芽の出ない前座落語家松山ケンイチはぼんやり男でたぶんちょっと変わり者。

志ん田(松山)は志ん米(尾藤イサオ)の弟子(鉄オタ)。師匠のニートギャル娘夕美(北川景子)は初登場シーンから生脚。常に生脚。細い。
正直、子どもっぽいこのキャラはあまり北川に合ってなかった気がする。あまり可愛いシーンはなかった。あえてブス顔してるのかもしれない。

以前に一門にいた兄弟子の志ん魚(伊藤克信)を探し出してくるように命じられる。志ん米の師匠の十三回忌に後援会長(三田佳子)のお気に入りの志ん魚を復帰させないといけない。
出船亭一門に野村宏伸がいる。久しぶりに見たのだが、自分の知ってる野村とだいぶ見た目が変わった。もう中年で衝撃。

年賀状を手掛かりに聞き込みに出かけた日光の土産物店の店主が佐々木蔵之介。この人は森田芳光作品の常連だった。
伊豆の漁師がピエール瀧。煎餅屋の奥さんが鈴木京香。床屋の主人が笹野高史。弁当屋が宮川一朗太。居酒屋の主人が仲村トオル。蕎麦屋が鈴木亮平。志ん魚に悪態つく婆さんが内海桂子師匠。次々にチョイ役で出てくる人々が意外。

夕美と張り込んだ谷中墓地で志ん魚と遭遇。このシーンのセンスがよくわからない。そんなに面白くもない。
志ん魚は才能がなくまったく芽が出なかった。二度と落語はやらないと誓っていた。一門で説得してもダメなのに、志ん米の命令で志ん田は志ん魚の説得に行かされる。

志ん魚は代行仕事をして生計を立てていた。志ん田は無理矢理押しかけて仕事を手伝う。師匠からもらった金で一緒に天ぷらそばを食べる。ひたすら谷中の庶民(老人)の暮らし。
銭湯で牛乳飲んでる塚地武雅が「間宮兄弟」そのままの存在感。

親睦会での志ん田の落語が酷評されるほど酷くはない。それなりにウケてる。だが、志ん魚の落語で客はみんな明らかに退屈してる。客がもうちょっと笑っていい。

で、師匠たちは一門の十三回忌講演を志ん魚には任せられないという雰囲気。志ん魚の創作落語「出目金」は志ん田にやらせることに。
だが志ん田は直前になって姿をくらませる。そして志ん魚は高座へ…。

まるで映画らしくない。普通にテレビドラマを見てるようで、これを劇場でお金払って見た人がいるのか心配になる。
たぶん中高年が楽しめるような人情コメディ映画を作りたかったんだろうってゆう。話がとても分かりやすい。じっくり見る必要がないのでむしろ飽きなかった。

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