2021年6月2日水曜日

大江健三郎「死者の奢り・飼育」(昭和33年)

新潮文庫にある大江健三郎「死者の奢り・飼育」を読む。自分、高校1年ぐらいのとき一度この本を手に取ったことがあったのだが、なんとなくしか読んでいない。当時はまったく手に負えないぐらい意味が解らなかった。脳内イメージフォルダにないことばかりで。今回、最初で最後のつもりでしっかり読む。

死者の奢り(文学界 昭和32年8月号)
東大医学部地下にあるという検体用遺体を保存しておくアルコール水槽から新しい水槽に移し替えるバイトに応募した主人公男子学生、女学生(妊娠中)、中年の管理人の3人からなる短編小説。「死体水槽バイト」都市伝説の元ネタとなった短編小説らしい。

文学部の学生がバイトに応募した1日。液体に浮かび沈みする死体を即物的に描写。やがて起こる予想外の出来事が描かれる。
今回読んでみて圧倒された。東大仏文科に在学中の22歳の天才ぶりに。今もその価値を失わない普遍性がある。

銃創のある脱走兵の男の死体と会話してる。この時代のことはよくわからないのだが、脱走兵は銃殺され医学用検体にされることは常識なの?!

あと、現場に助教授と医学生2人がやってくる。12歳の少女の遺体が運ばれてくる。え、12歳で検体になる意思表示が可能?親が許可すれば大丈夫?
主人公は注射器を持った男とぶつかって「危ないじゃないか」と注意される。黙ってる。
僕は学生の顔を見あげた。彼の顔にかすかな狼狽のけはいが浮かび、すぐに消えたが、彼はもう僕を咎めなかった。そして、意識した熱心さで死体に屈みこんだ。僕は少女のクリトリスが植物の芽ににているのを素早く見た。車を再び引きながら、なぜあの男は僕を見つめて狼狽し、僕から眼をそらしたのだろう、と僕は考えた。それは僕の根深い所で陰険な不快感と結びついた。あいつは僕を、賤民のように見た。僕は、わざわざゆっくり死体をおろし、それに新しい木札を取りつけることにも時間をかけ、管理人が苛立って、僕の手許をを見つめているのにかまわないで木札の紐を何度も結びなおした。あの男は僕を、賤民を見る者の不快さを感じながら見ていた。そして僕を咎める気持ちをなくした。その上、できるだけ早くその不快感から逃れるために死体へ屈みこんだ。それも、自分のその感情が正当であることを教授と仲間に承認を強いるような、明らかな、わざとらしさで注射器をかざしながら。あれはなぜだろう。あれは、どういうことだろう。
2020年のコロナ禍での社会の格差や分断のことを想った。自分もかつて区の職員から「賤民を見る」眼で見られたことも思い出した。他人をそういう目で見たこともあったかもしれないと思った。

女子学生は子どもを堕胎する手術費用をかせぐために死体水槽バイトに応募してきたのだが、死体を取り扱ってるうちに、子どもを産む決意をする。そのへん、22歳の文学青年にこれほどの精度で書けたことに驚いた。
15歳当時の自分には文学作品に「勃起」とか「クリト〇ス」という単語があるだけで、かなりいかがわしいものを読んでいる感じがしたことも思い出した。

他人の足(新潮 昭和32年8月号)
「死者の奢り」以上に読んでて圧倒され嘆息した。これも現代において価値を失っていない。脊椎カリエスを患う少年たちの病棟に、脚をギプス固定された学生(左翼知識人層)がやってきて、閉鎖社会の雰囲気をおかしくする話。

学生は足が治って歩くことができるようになり病棟を去っていくのだが、
自分の足の上に立っている人間は、なぜ非人間的に見えるのだろう。こんな筈ではなかった。
とか、日々それほど意識してない側の目線にハッと気づかされる。
そして、看護婦が「下着が汚れる」からと、15歳の少年たちの性的処理をしてるシーンがある。これも15歳ぐらいのとき読んだときはまったく気づけなかった。大江の筆致ではその光景を思い描けていなかった。こどもに日本文学から現代文を出題するな!と言いたい。

飼育(文学界 昭和33年1月号)
大江健三郎(23)が芥川賞を受賞した作品。さらに桁違いの才能を見せている。
戦争末期、墜落した敵機から捕えた黒人米軍兵士をこども目線で描く。ここまで読んできて、すべての短編が閉鎖された空間を舞台にしていることに気づいた。地下牢のような場所、そして辺鄙な村も閉鎖社会。

子どもたちと黒人。一緒に遊んだり平和な雰囲気。だがしかし、最悪なバッドエンド。さらにラストでも簡単に人が死ぬ。
昔の田舎は河原や林の中で薪を集めて死者を焼いていた。人々は生と死が常に身近。死人を焼く臭いや堆肥を集めておく場所の臭い。そして子どもたちの性もなぜかしれっと入れてくる。

人間の羊(新潮 昭和33年2月号)
ものすごく嫌な味のする鬱短編。酒に酔った粗暴な米兵に路線バス内でナイフで脅され性的いたずらをされた学生。見てみないふりの乗客、車掌、運転手、淫売女、誰もかれも最悪。

だが、怒りに暴走する正義を振りかざし、忘れたいしその場を逃げたい学生につきまとう教師が一番最悪。学生を強引に交番に連れて行ったのに愚鈍な反応しかしない中年警官もさらに最悪。
今ならスマホで動画を撮影され拡散。米兵は軍法会議で銃殺にでもされてくれ。
日本は今も在日米軍という頼まれてもいないのに居座る占領軍がいる。昭和30年代にくらべれば状況はだいぶマシ。しかし、沖縄は今もこの小説のような状況なのか?

不意の啞(新潮 昭和33年9月号)
村にやって来た米兵と日本人通訳。川で水浴びをしてる最中に軍靴がなくなったと騒ぎ始める。反抗的な部落長が射殺された。その息子の傲岸な通訳への復讐。そんなことが?!という短編。

戦いの今日(中央公論 昭和33年9月号)
米軍キャンプ前で反戦ビラをくばる兄弟、娼婦、その恋人で朝鮮に送られることを怖がる米兵の織り成すドラマ。兵士に脱走を促しておいて受け入れ態勢がないとか酷い。てか登場人物が弟以外みんな酷い。朝鮮戦争時の雰囲気を知る短編。ラストも味わい深くて思わず読み返した。

どれもが作家として桁違いの才能を噴出させている。そして、大江健三郎は20代前半から大江健三郎だった。戦後民主主義の左翼作家が選びそうなテーマばかり。

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