G.K.チェスタトン「知りすぎた男」(1922)を読む。2020年5月創元推理文庫から出た南條竹則新訳で読む。チェスタトンというとブラウン神父のシリーズで有名だが、自分はまだ1冊も読んだことがない。よって、これが人生初チェスタトン。
THE MAN WHO KNEW TOO MUCH by G.K.Chesterton 1922自分はブラウン神父を避けていた。この時代の英国がぜんぜんイメージできないから。大学1年に選択した英語の授業でディケンズの英訳宿題を思い出す。邦訳してあってもよくわからない文体で困惑。では順に読んでいく。
「標的の顔」この本の主人公はホーン・フィッシャーという謎紳士。若い新聞記者ハロルド・マーチくんは財務大臣の邸宅へ向かう途中でぷらぷら散歩してたら、釣りをしているフィッシャー氏と出会い世間話。そこに自動車がつっこんできて崖下に転落して男が死亡。
フィッシャー氏は何も捜査せずにぷらぷら散歩してるだけで真相をマーチくんに話すのだが、真相が大事過ぎるからという理由でそれ以上何もしないw 英国の体制側の人物。
「消えたプリンス」この時代のアイルランドと英国の緊張状態を知る短編。
「少年の心」聖パウロの一文銭と呼ばれるローマ時代のメダル盗難事件。てか、事件にもなってないちょっとした騒動。これもすごく文章がわかりづらいので3回ぐらいなぞるように読んだ。
「底なしの井戸」今度の舞台はアラブ。毎回フィッシャー氏の登場の仕方が第三者目線で脇役のように登場。ほとんど調査もしないで将軍毒殺事件を見抜く。そしてもみ消す。
ここまで読んでようやくフィッシャー氏とは英国政府中枢にいるから「知りすぎた男」なんだと気づいたw これもチェスタトンの文体のせいなのか?頭に入ってこない。
ここまで読んでようやくフィッシャー氏とは英国政府中枢にいるから「知りすぎた男」なんだと気づいたw これもチェスタトンの文体のせいなのか?頭に入ってこない。
「塀の穴」これも貴族の家に集まった名士たちの心の奥を見抜くようなフィッシャー氏。これも日本人には共感しづらい政府中枢探偵の事後処理。
「釣師のこだわり」これも英国政府の外交と政治のVIPの現場。たぶんチェスタトンの時代の作家たちって読者にわかりやすく書くという気はないんじゃないか?という文体。
「一家の馬鹿息子」これも英国上流階級内部のみでの話。フィッシャー氏の兄も名士で大物。
「彫像の復讐」ラストにふさわしいエピソードかもしれないが、よく意味が解らなかった。
結果、チェスタトンは自分とかなり合ってなかったので、もう読まなくてもいいなとすら感じたw
結果、チェスタトンは自分とかなり合ってなかったので、もう読まなくてもいいなとすら感じたw
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