2020年4月25日土曜日

ボッカッチョ「デカメロン」(1348-53)

ジョヴァンニ・ボッカッチョ(Giovanni Boccaccio 1313-1375)「デカメロン Decameron」を人生で初めて読む。こんな時代だから読む。
著者のボッカッチョは日本で言ったら鎌倉末期から室町南北朝時代の人物。巻末解説だと日本の元号も年表に書いてある。正和二年から天授元年まで。

14世紀、アジアからシチリアへ上陸、またたくまにヨーロッパ全土へと広がったペストはフィレンツェでも猛威をふるい城壁内が死屍累々。死臭と悪臭が漂う。
裕福なものは高い給金で雇った使用人が看病するのだがやはり感染する。死んでしまうか逃げる。で、農民たちも家畜のように死ぬ。ボッカッチョはフィレンツェだけで死者10万人と記録。(これはやや盛りすぎの数値らしい)

で、淑女7名(18歳から28歳ぐらいまで)、貴公子3名(一番若くて25歳)が、街道からやや離れた緑に囲まれた小高い丘の館に避難して、10日間に100の物語を語って聞かせるという本。(デカメロン、またの名をガレオット公とよばれる書物が始まる…という序文)

自分、中学生ぐらいのとき「デカメロン」を「でかいメロンの話」だと思ってたw たぶんみんなもそう。
4世紀のローマ司教アンブロシウスの著書「ヘクサメロン(6日)」(ギリシャ語)に倣ったボッカッチョの造語が「デカメロン(10日)」。
当時ヨーロッパで広く伝わってたちょっと面白話を知る本。

今回選んだものは4日目と5日目、7日目と8日目をバッサリ省略した河島英昭訳の1999年講談社文芸文庫。
それでもやっぱり現代人には面白さのわからない噺が多い。
何をもって徳が高いとするのか?何を恥と考えるのか?現代と違う。面白かったもののみ感想を書いていく。

DAY1 
  • 第1話 強欲でろくな信仰心もない男チャッペッレット氏が臨終の間際の懺悔。神父にも嘘八百。死後やがて聖人としてあがめられるという話。
  • 第2話 ユダヤ人アブラアム氏をキリスト教に改宗するよう勧めるチヴィニのジャンノット。そんなにいうなら「ローマへ行って枢機卿の生活を見てくるわ」堕落した聖職者を見たらきっと失望すると思い諦めてたら、「淫蕩貪欲美食欺瞞嫉妬傲慢、ありとあらゆる悪事でキリストの教えを無にしようとしてるのに、むしろ広まってるような教えはむしろ尊いにきまってるわ。改宗することにしたわ。」
  • 第4話 修道僧が女を連れ込んで楽しんでたところを修道院長に見つかる。見られたことに気づかないふりをして、女を部屋に残し修道院長に鍵をわたして森へ薪を拾いに行くと言う。するとやっぱり修道院長も部屋に入って女といいことをする。DAY1で一番下品な話w どうやら男のする話は女たちのとりすましたような話より面白い。
  • 第9話 凌辱された婦人が正義を振るってほしいと訴えるも臆病な王は何もしない。王の卑屈さをなじる。もし王が自分の苦しみを味わったら、どうやって耐えるのか教えてほしいと訴える。躊躇と怠惰の王は目覚め、貴婦人に与えられた不正に対して厳しい復讐を果たす。
DAY2 困難の末に幸せな結末…というテーマ縛りの話ということなのだが、だまして力づくで金品を奪う中世イタリア人、男女とも好色な中世イタリア人、讒言の末に流浪し故郷に戻るなど、どれもこれも大して面白くもないうえに酷い話ばっかり。とくに感想も書きたくないw 
話のすべての感想を書くつもりだったのだが、ここで断念。

第10話が若い人妻をもらった金持ちだが体の弱い裁判官リッカルド卿の話。この妻がパガニーノに誘拐されるのだが、毎晩逞しい力強いパガニーノに抱かれる喜びを知り、説得に来たリッカルドを追い返すという話。男性としての能力の劣る男が若い美人妻をもったことを嘲笑う。この話で笑い転げられるイタリア人たちが理解不能。
中世ピサは美人が少ないことで有名?「斑の蜥蜴に似ていない女はめったにいない」とか酷い言われようw

DAY3は「才知によって、願っていたものを手に入れたり、失っていたものを取り返した人」についてがテーマだと予告があるのだが、講談社文芸文庫版ではDAY3もDAY4もまるまるカット。

DAY5 男女が苦難に遭い、最終的に結ばれる話のシリーズ。これも女を力づくで誘拐拉致し妻にする無法地帯中世ヨーロッパ。たぶんつい最近まで女の扱いは世界中どこでもそんな感じ。娘を身重にさせたら父は相手の男を殺してもいいの?!

5日目第4話は「デカメロン」を読んだ多くの人が感想を書いている印象深い話。その理由は…超絶シモネタ!w 「夜鳴き鴬」って何だよ。一番笑った。
中世イタリアの親たちは年頃の娘が裸で男と寝てる場面に遭遇しても「おやおや」と大して驚かずに上手いことを言うw

上巻はDAY5第7話までを収録。

下巻はDAY5第8話からスタート。
男が真剣に愛したのに同じ愛情を返してくれない女を、恐怖と暴力でいうことを聴かせる話。まるでストーカーDV男だが、犬に喰わせてる段階でホラー。

第9話は日本人の感性にも合った人情噺…だと思って読んでいたら、この話を翻案して尾崎紅葉が「鷹料理」という短編にしていた。

DAY6は当意即妙な言い訳や切り返しがテーマ。
第4話は鶴料理の話。これが一休さんみたいなとんち話。
第5話には高名な画家ジョットが登場。この話はパゾリーニ監督「デカメロン」でもほぼ忠実に再現されているそうだ。

DAY7とDAY8もまるまる省略。そしてDAY9へ。
第1話は美女が二人の男を厄介払いする話だが、一歩間違うと魔法使いとして火あぶりされる時代だけに酷い。
第2話は恋人を部屋に入れる若い尼僧。現場を押さえて問い詰める修道院長が間違って男の下着を頭巾にかぶったまま説教…という笑い話。
第3話は遺産を相続し金を持ってる男をだまして飲み食い。酷い話。
第4話は盗人猛々しい従者。金を盗んだうえに嘘ついて被害者をさらに酷い目にあわせる。
第6話も下品で酷い。第9話は女は殴って言うことを聴かせればいいという、この時代でしか許されない話。第10話もさらに下品で酷い。

DAY10 4話6話8話9話が省略。集まった男女10人にも皇帝派と教皇派という政治派閥があることが判明。第10話もいい話のようでいて酷い話。

結果、人に語って教えたくなるような話はほとんどなかったw やっぱイタリア人と日本人はまったく違うわw

19世紀ボストンでは「いかがわしい本」として発禁だったりもしたいわくつきの本。自分は今回、最初で最後のつもりで読んだのだが、この講談社文芸文庫は抄訳版。それほど強く人に「俺は読んだ」とも言いにくい。
ただ、ルネサンスの息吹のようなものはなんとなく感じた。

自分はその昔リュック一つでヨーロッパを独り旅して回ったことがあった。つらい旅でもあったのだが、フィレンツェは良い思い出。
フィレンツェ駅の近くにあったサンタ・マリア・ノヴェッラ教会がまさに、「デカメロン」が始まる場所だったということは、フィレンツェを旅した当時の自分は知らなかった。
たしか、あのあたりからユースホステルに行くバスが出ていたので、あの教会は印象深かった。
「デカメロン」に登場するイタリア人たちはだいたい酷い。今のイタリアにもそんな人はきっと多い。だが、現代フィレンツェの人々は優しかったことは断っておく。イタリアの人々が、世界の人々が早く普通の日常に戻れることを強く願う。

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