2020年1月25日土曜日

遠藤周作「沈黙」(昭和41年)

遠藤周作「沈黙」(昭和41年)は意外に中学生や高校生たちによく読まれているらしいのだが自分はまだ未読だった。
遠藤周作は欧州ではもっとも重要な日本人作家のひとりとみなされているらしい。
それにこの文学作品は篠田正浩やマーティン・スコセッシによって映画にもなっている。今、新潮文庫で読む。

たぶん秀吉家康時代のキリスト教弾圧が描かれている。日本史の副読本としても最適に違いない。
外国人が本国にあてて書いた書簡形式。なので日本語としてそれほど難しい表現は出てこない。が、平易で読みやすいというわけでもない。

ローマ教会に日本で布教をしているフェレイラ教父が穴吊りの拷問の末に棄教したらしいという知らせが届く。あのフェレイラ教父が?まさか?!信じられない!
でもってロドリゴら3人が喜望峰を回りゴアを経て澳門へ。そこでヴァリニャーノ師からもう日本へ渡ることは危険すぎてオススメできないと諭される。

だが、それでもキチジローという臆病でずるそうな日本人と一緒に九州上陸。密かに信仰を守って生きている日本人たちに歓迎される。やっぱ日本に来てよかった。

だが、日本のお役人たちは執拗に潜伏キリシタンを探し出す。あぶり出す。そんなことしてなんになる?権力におもねり忖度。
潜伏キリシタン情報に報奨金。ソ連、東ドイツ、文革時代の中国、クメールルージュにおける非革命分子を探し出す方法に似ている。北朝鮮はたぶんこんな密告社会。

踏み絵を踏ませるだけでなく、役人たちは表情を観察。じゃあマリア像に唾を吐き淫売と罵ってみせろ!絵を踏むだけならなんとかなると思ってた信者もここで陥落。海にある十字架に磔。だんだんと弱って死んでいく。

司祭たちの悲惨な逃亡の様子と、捕えらえた百姓キリシタンが斬り殺されたりす巻きにされ海中に遺棄されたり残酷で読んでいて心が痛い。
なんで日本なんかに来ちゃったんだろう?てか、ただでさえ辛い責め苦のような暮らしをしていた百姓が切支丹になってしまったがためにさらに酷い目に遭ってる。
なんで主はこの期におよんで沈黙してんの?

捕らえられたロドリゴ。あれ?残虐と聞いていた奉行井上筑後守が意外におっとりした雰囲気で話を聴いてくれる。
熱心に布教活動する司祭たちを「醜い女に熱烈に求愛されても男は迷惑だよね?」「風土によって育たない苗もあるよね?」と、わかりやすい例えで日本での布教に意味ある?と説く。
通辞からも「とりあえず形式だけでも転向してくれ」と懇願される。

長崎で面会したフェレイラ教父は「日本での布教なんて無理だった」「日本人はキリスト教をまったく違ったものにして受容する」と諦めた末の棄教をロドリゴに告げる。

ただただ残酷なキリスト教弾圧の様子が描かれるだけの本じゃなかった。なんだか深い。
読んでいて名言が多かった気がする。ときどきそこだけがババっとクリアに見える文章があったりする。自分が「おぉぉ…」となった箇所は以下。捕らえられたロドリゴは、慕ってやってくる不潔で臭いキチジローを見て独白。
魅力のあるもの、美しいものに心ひかれるなら、それは誰だってできることだった。そんなものは愛ではなかった。色あせて、襤褸のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。
現代日本の酷い状況を見ると、カトリック教会はまだまだ布教できる余地は十分にあるような気がした。

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