(そういえば5年前に朝日新聞は100周年を記念して「こころ」を再連載してた。)
漱石を読むことすら十数年ぶり。「道草」を最後に一度も手に取ってなかった。
そして今、「こころ」に小学生以来2回目の挑戦。当時は旺文社文庫だったのだが、今回はなんと中条あやみ表紙の2016年集英社文庫版。
てゆうか、中条が表紙で「おや?!」と思って手に取った。最初のページに漱石の写真資料なんかも掲載されている版。
主人公の書生「私」と「先生」の出会いは鎌倉の海だった。それ、今回初めて知った。読んだ当時はまだ一度も行ったことがなく、まったく鎌倉のイメージなんてなかった。
何度も鎌倉へ出かけ、夏の由比ガ浜の海と空の色を知ってる今、漱石の「こころ」がカラー映像で脳内にバッと広がる。
もちろん当時は134号線もない。人々は着物姿で、茅葺屋根の家と畑、その間を人力が走る時代。それでも長谷の後ろに見える山とか鎌倉の地形を把握してるほうがイメージしやすい。
この先生が登場した先から影がある。小学生の時はそういうところを全然読んでなかったw 雑司ヶ谷霊園でのやりとりもあからさまにプライバシーに立ち入ろうとする若者への壁を作っていた。
昔は池袋周辺あたりなら平気で自転車で出かけていたけど、雑司ヶ谷霊園は2回ぐらいしか通ったことがない。あんまりよく覚えてなくてイメージできない。
先生は家で何もしていないようだ。働いたこともない?ひょっとすると高等遊民ってやつ?先生とその奥さんには何か暗い過去のようなものが?「恋は罪悪」とは?
主人公は実家の父がもう長くない。先生から「財産のことはしっかり聴いておけ」とか言われたり、母親からは「仕事の口をはやく見つけろ」と催促されたり、ビミョーに嫌なことがつづく。そして父危篤であたふた。
そこへ先生からの手紙「これをきみが読む頃はもう自分は死んでるでしょう」急展開!
後半は先生の半生独白と遺書。長い。両親が相次いでなくなり財産を親戚にちょろまかされるとか普通に嫌。
そしてKという友人が登場し、下宿のお嬢さんをめぐって恋の駆け引き。
結果、Kは自殺するのだが、先生はそれほど批判されるようなことはしていないように思える。
今日でも若者たちは普通にやってるようなこと。良心の呵責に耐えかねて自殺するようなことでもない。「こころ」は味わい深いっちゃ味わい深いが、やはり終わりが唐突。
現代人にはピンとこない話になっている。明治から大正という時代の変わり目の人々のこころを描いた作品。いまも現代人に読まれている不思議。
小学生以来読み返して、文体が意外に平易だなと感じた。やっぱり後半部分はほとんど覚えてなかった。
私とKが房州を旅行してるのだが、保田、富浦、那古、鯛の浦という地名が出て来た。行ったことがあって知ってる地名だとイメージがわく。知らないと地名もただの記号。
あと、夏目漱石が49歳で亡くなってたことを知って何気にショック。自分は勝手に60代ぐらいのイメージでいた。
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