2019年7月15日月曜日

鮎川哲也「ペトロフ事件」

鮎川哲也「ペトロフ事件」という本があるので読む。講談社大衆文学館文庫コレクション(1996)で読む。

じつは自分、鮎川哲也(1919-2002)という推理作家をほんの最近までまったく知らなかった。
なんと大正8年生まれ。戦後すぐから作品を発表。日本ミステリーを長年牽引。
生まれは東京らしいのだが父の仕事で満洲に渡り少年時代から終戦まで満洲で過ごしたそうだ。

で、この「ペトロフ事件」は戦争中に書かれて戦後に発表されたもの。出版社を変えながら過去に何度も出版されている。

舞台が大連。巻頭に大連の市街地図、巻末に満鉄の時刻表。戦前の大連、旅順、哈爾濱の様子の記述が貴重。

白系ロシア人金満家イワン・ペトロフ老人が夏家河子の自宅で殺害された事件。大連市沙河口警察署鬼貫警部へ応援要請の電話。この警部はロシア語が堪能。中国語も多少できる。

殺害状況からして親しい人間の犯行。鬼貫警部が相続人である3人の甥、アントン、アレクサンドル、ニコライに話を聴きに行く。
ロシア人容疑者のアーリビ(アリバイ)を確かめる。この本には多くのロシア語が出てくる。日本人が満洲でロシア語を使ってロシア人のアリバイを調べるって新鮮。

満洲を舞台にした推理小説って初めて。この本を読んだことで大連、旅順、夏家河子、新京、哈爾濱などの位置関係を覚えた。だが、当時の満洲を知らない現代日本人としてはいろいろイメージしずらいものがある。当時の満洲の常識がわからない。

鬼貫警部は35歳独身の若々しい青年。ロシア人や支那人らと協力して難事件を解く。
証人の少ないアリバイから調査。身内同士がかばっている可能性もある。だがやがて一番強固なアリバイを持ったアントンが立ちはだかる!

「発車時刻の正確さを誇っている満鉄」の、昭和17年7月ダイヤでしかできない犯行に驚いた。
連京線と旅順線。急行と普通列車。車内から打たれた電報。市松模様のトランク。どうやらクロフツの影響を受けた作品らしい。

鬼貫警部は捜査途中に結核の疑いで日本へ一時帰国。だが、日本から戻る警部を乗せた神戸大連間の日満連絡船が木浦沖で座礁沈没!

途中からアレクサンドルの婚約者ナタリヤがアントンの鉄道アリバイを調査。あじあ号で北上し哈爾濱へ。
車窓から見える朝日を浴びてピンクに染まる遼陽の白塔とか、読んでてナタリヤと一緒に満洲を旅してる気分。

やがて鉄壁に見えたアリバイは崩されるのだが、さらなる真実が!
どっひゃあ!この本には衝撃を受けた。

アリバイトリックは現代人が見ればどうってことないかもしれない。路線図を見ればだいたいそうじゃないかと思ってた。
だが、自分からすると松本清張の「点と線」よりも重要な鉄道時刻表ミステリーではないのか?
読後の満足感と充実感、余韻が心地よい。これは強くオススメできる。

どうしてこんなすごい作品があったことを知らなかったのか?読んでいなかったのか? 
満州を舞台にした文学作品としても貴重。満州へのノスタルジアを掻き立てる。

哈爾濱警察署のサヤーピン警部の協力を得る。このロシア人警部がコーヒー飲みながらナタリヤに哈爾濱の街で見かける日本人、ロシア人、中国人の違いを語る。
「あそこにくる日本婦人を見てご覧なさい。まだ二十歳になったばかりだろうに、まるで落ち着きのない歩き方をしている。そのくせ若さというものは全然ありません。あれはね、日本人の生活が、可からず可からずで縛られているので、あのように覇気がなくなったのだと、わたしは思っているのですよ。それに引き代えて、あのロシヤ人のお嬢さんをご覧なさい。エミグラントには生命のいぶきを圧迫するようなものはなにもない。それだからああして伸々と手を振って歩けるのです。わたしは、日本人が気の毒でたまらなくなりますよ。ほれ向こうから近づいて来る中国人の女性をみて下さい。なんと悠々とした歩き方でしょう。歩き方だけで、日本人と中国人はすぐに区別がつきます。日本人はだれでも大気の圧力を感じているような歩き方をします。」
文中に中国人とあるのはもちろん戦後にリライトされたから。この版がどこまで加筆されているのかわからないのだが、満洲で少年時代を過ごした鮎川先生が当時感じたことを吐露した箇所だと感じられた。

この本を読んで、今も満洲があったなら、日本人、ロシア人、中国人、満洲人、蒙古人、ユダヤ人が仲良く社会をつくる理想国家に発展してたのかも…という、なかった未来を想像した。
新京や大連、哈爾濱はNYやLAのような都市になって、日本人もインターナショナルになっていてロシア語や中国語がペラペラになってたかもしれないのに…と悔やんだ。

この作品の舞台となってる場所をグーグルで調べようとしたのだが、大連とかストビュー写真とかぜんぜんなかった。それどころかもう旅順線は残っていない?

この本が書かれた戦前の段階で旅順は寂れて大連が発展してたって知った。夏家河子は満洲の湘南と呼ばれていた?!
哈爾濱の旧キタイスカヤ街とかは今も満洲時代の名残が感じられる。松花江にある太陽島とか調べようとグーグルで見てもあんまり写真がない。

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