2019年5月8日水曜日

コリン・デクスター「キドリントンから消えた娘」(1976)

コリン・デクスター「キドリントンから消えた娘」を読む。大庭忠男訳のハヤカワ文庫(1989)で読む。これが自分にとって4冊目のデクスター。
LAST SEEN WEARING by Colin Dexter 1976
原題と邦題がまったく違うが、邦題から判断するかぎり、たぶん、娘の失踪事件。

読む前にオクスフォードシャー・キッドリントンの街をグーグルストリートビューで見てイメージをつかんだ。
オクスフォードの中心地からバンベリー・ロードとオクスフォード・ロードを北に8km進んだ場所にある人口1万3千の田舎町。高いビルもない石造りの家々の低層住宅地。どこか北海道内陸の田舎町を想わせる。

モース警部が急死した同僚の家出娘案件を嫌々引き継ぐ。家を出たまま帰ってこない17歳女子高生。最近になって両親へ手紙が来て捜査が新たな局面へ。
モースは「たぶんもう殺されている」と決めつける。

この時点ではモースはまだ太っていない?まだ若い?ワーグナーのオペラや英国文学と詩を愛する高尚な趣味の一方で、ゲスい大衆紙のポルノにもしっかり目を通す。モースはそんな人。
思いつきで部下のルイス警部を振り回す。頻繁にパブで酒を飲む。怒鳴る。あっさり前言も撤回。ルイスも「何なん?この人」と呆れる。ルイスが気の毒。

自分はこの本を勝手に本格かと想像していたのだが、プロローグでだいたいの全体像を想像させる。女子生徒を妊娠させてしまった先生の転落っぽい。松本清張サスペンスっぽい。(だがその予想は間違っていた)

真ん中付近で重要な情報を持っていると思われる教頭が自宅で刺殺される。こちらに重点が移動。そもそも女子高生が失踪しただけでは犯罪として捜査できない。

全体の構成が五里霧中。断片的な場面と証言。モースの思いつき妄想の繰り返し。
将棋指しは何千とある手筋からその局面でもっとも有効なたったひとつの手を打つ。だがモースはすべての妄想を証拠もないまま次々と試す。これが真実だ!とルイスに講釈。これは迷惑だわ。頭はいいかもしれないけど、こんなダメ刑事は嫌だわ。

海外サスペンス映画を見ているようでテンポがよく読んでいて気持ちがよかった。文体も自分に合っている。だがそれも途中まで。
最後は結局なにが真実だったのか?よくわからないまま終わった。

もうデクスターは読まないかもしれない。デクスターの多くが日本では絶版になっているのもわからないでもないなと思った。でも、TVドラマは英国でも日本でもそこそこ人気らしい。なぜだ。

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