2019年1月1日火曜日

梅原猛「写楽 仮名の悲劇」(1987)

梅原猛「写楽 仮名の悲劇」(1987)の平成3年新潮文庫版(第3刷)がそこにあったので購入。2017年秋に北関東のBOで90円ワゴンの中から救出。
これ、現在は絶版。ほとんど読まれた形跡のないピカピカ新品でゲット。

写楽という浮世絵師は自分が子供の頃、肖像画家として世界的に有名なのに正体不明の謎の画家としてよくメディアでも話題に昇っていた。だが、最近はめっきりそういうこともない。

というのも、現在ではすでに写楽の正体は阿波の能楽師・斎藤十郎兵衛だろうって説がほぼ固まったっぽい。
梅原先生がこの本を書き始めたときもすでに斎藤十郎兵衛説がかなり支配的。仲間からも「今更?」と止められたらしい。梅原先生は7割わかってきたと感じた時点で本を書き始めるという。

わずか10か月の間に142枚の役者絵を残した写楽の評価が高まったのは、明治43年にドイツ人クルトが評価してから。当時の日本人はそれほど写楽を知らず驚いたらしい。

クルトは写楽の正体を斎藤十郎兵衛としていたのだが、そのネタとなった資料は何か?
「浮世絵類考」という本があったのだ。ルネサンスにおけるジョルジョ・ヴァザーリが書いた列伝のようなものか?

写楽と同時代を生きた知識人たちの著作など一次資料を慎重に取り扱うのが梅原猛。写本の検討から入る。大田南畝、山東京伝、式亭三馬が書き加えた記述から写楽に迫る。

「写楽は八丁堀に住んでたってよ」という箇所から、斎藤十郎兵衛説が出て来た?八丁堀は同心与力の街。そこには松平阿波守の屋敷があった。
実は八丁堀でも八丁堀違い?江戸にはもう一か所、神田と日本橋の境に銀町堀という別の八丁堀があったらしい。だが、当時は有名人はとりあえず八丁堀に住んでることにしてた?

梅原先生は別に斎藤十郎兵衛説を否定してはいなかったけど、素人にいきなり一流の版元だった蔦屋重三郎から出せる?他に職業を持っていてそんなことできる?と懐疑的。
この本を読むと「写楽=豊国」説が説得力があるしもっともらしく感じられる。

てか、そもそも斎藤十郎兵衛が描いたと確実にわかる絵と写楽の絵の徹底した比較ってされたの?

この本を読むと歌舞伎の歴史に詳しくなれる。とくに、写楽と豊国の両者が同じ役者たちを描いた「花菖蒲文禄曽我」のあらすじに詳しくなる。
カラー口絵を見ると、二代目中村仲蔵は写楽と豊国でかなり顔の把握の仕方が似ていて、自分も「これは!」と思わないでいられない。
それに写楽と豊国のお気に入りの役者が同じだったことは偶然って言える?

梅原先生には豊国説に執着があったみたいだけど、この本の後に斎藤十郎兵衛説を固める証拠がいくつか出てきてしまった。この本も価値を失いほとんど読まれなくなった。

この本を読むことで写楽の正体をめぐる説のそれぞれを知ることができた。江戸の画家たちのことも知ることができた。

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