2018年8月29日水曜日

佐木隆三「伊藤博文と安重根」(1993)

佐木隆三「伊藤博文と安重根」の1996年文春文庫版(第1刷)がそこにあったので読んでみた。この本はわりとよく見かける。100円でゲット。

佐木隆三(1937-2015)の本を読むのはこれが2冊目。初めて読んだ本は「ドキュメント狭山事件」。狭山事件に興味を持つとこれぐらいしか選択肢がなかったので読んだ。
で、伊藤博文暗殺事件と安重根について知ろうと思えば、これが一番手に入りやすい。

自分は知らなかったのだが佐木隆三は朝鮮咸鏡北道穏城郡の生まれの日本人。日本と韓国、両方からの視点を持っているに違いない。

伊藤博文が哈爾濱で暗殺されたことは、たぶん中学生以上ならだいたい知ってると思う。そして伊藤を狙撃した人物が韓国人・安重根なことも高校生以上ならまずほとんどが知っているかと。

だが、自分はこの本を読むまで、伊藤が哈爾濱に向かった理由を知らなかった。佐木隆三は公判の記録から人間性を掘り下げるノンフィクション作家なわけだが、「公判請求書」から多くを引用して、事件発生までの伊藤博文と安重根のそれまでの行動、移動経路を詳細に教えてくれる。

日露戦争後の朝鮮と満洲をめぐるロシアとの利権をめぐる駆け引き、国際情勢なんかをおさらいするので話が前後する。日露は戦後、これからは仲良くやっていこうと歩み始めたばかり。伊藤博文は哈爾濱でロシア蔵相ココーフツォフとの会談の予定だった。
何を話し合うのか?清国やアメリカは満洲のことで気が気でない。

亡国の徒・安はロシア領ポシエトからウラジオストク、ポグラニチヌイ、そして哈爾濱と流浪。途中で仲間を得て、哈爾濱駅で伊藤博文を狙撃する機会を偶然得る。

伊藤と一緒に哈爾濱駅でロシア兵士たちを儀仗するためにホームを歩いた川上ハルビン総領事、森宮内大臣秘書官、田中南満州鉄道理事までもが至近距離からの6発の狙撃によって重傷。(うち3発が伊藤博文に命中)

韓国の主権を次々と奪っていく日本。安はその首魁・伊藤博文を強く恨む。この本は安の直前の行動を追うのだが、人を殺すという行為に対して発言と行動が軽いように感じた。

世界を震撼させた重大事件を起こしたことで、哈爾濱のロシア警察が韓国人たちをつぎつぎに逮捕。多くの無関係な人も巻き込んでいるのが酷い。当時の警察の取り調べは想像以上に熾烈だったに違いない。大迷惑。

拳銃を構えて哈爾濱駅で待機していた安重根(30)、蔡家溝駅で待機していた禹徳淳(32)のふたりは伊藤が死んだと聞いて喜んだというから、この二人は主犯と言っていい。伊藤が蔡家溝駅で降りていたら禹が歴史に名前を刻んでいた。

だが、ロシア領内で平穏に暮らしていた曹道先(36)と劉東夏(17)のふたりはロシア語ができるということだけでダマして同行させられた。事後従犯の曹は有罪で仕方ないが、自分の感覚からすると幼い劉は無罪でよかった気がする。

安は日本人にとってはテロリストで韓国人にとって朝鮮独立の第一歩になるわけだが、今日まで続く日本側の見方を決定づけたのは溝淵孝雄検察官の論告求刑。以下一部引用
およそ政治犯であるからには、政治上の効果を生じる目的をもって、秩序を破壊すべきである。安重根は、伊藤公の殺害をもって、自国に対する義務を尽くしたというが、このことで韓国の国威をまっとうし、国権回復に一歩を進めたとはいえない。 
3年前に安は、鎮南浦を出た。妻子、兄弟を捨てて去る前には、石炭商を営んでいたが、これに失敗して、国元に居づらくなったのである。北韓またはロシア領にいるときは、住居不定で定職はなく、韓国人の教育をしようとしたが徒手空拳で同調者もなく、過激派と交際するにおよんだ。四方に漂流して、ついに義兵に投じたが、これとて烏合の衆である、一敗地にまみれて失敗に帰した。 
二人の弟に寄せた信書によれば、「ヨーロッパに遊び、ウラジオストクに戻ったけれども、またパリよりローマに至る志をもっている」と、いかにも境遇を改善したようなことを述べている。このヨーロッパ行きのことは、まったく事実無根であることを本人も認めた。二人の弟も、「兄が面目ないために法螺を吹いた」と言っている。 
今回、ハルビンへ来るにあたっても、「国家のため」と称してウラジオストクで、李錫山から百ルーブルを強奪したと述べる。これを信じても、放浪生活中に良民から、国家のためと称して強奪をなすごときは、日常茶飯事といわざるを得ない。このように兄弟妻子に対して、まことに面目ない境遇にある安重根が、その面目をほどこすために、突然の大事を企てたのである。そう言って、当たらずといえども遠からずだろう。 
禹徳淳も同様である。ウラジオストクの宿屋では、7ルーブルを踏み倒した。このような人物が、天下国家を一人で背負って立つようなことを言うのは、むしろ滑稽である。もし真面目であるとするなら、誇大妄想狂であろう。
ここを読んで、ほぼ今日の政府と多くの日本人の安重根のイメージはここにルーツがあると感じた。
一方、国選弁護人の水野吉太郎は刑の量定についての弁論で
「被告人の安重根は、知識が不足しているために、国家に忠誠を尽くす方法を誤解したのであるから、じつに同情すべき点がある。韓国の現状は、尊王攘夷を喧論していた維新前の日本に似ており、その排日党の主張は、日本の志士のようである。」 
「おそらく地下の伊藤公にしても、むしろ被告人が重い刑に処せられることを不愉快に思われるはずだ。伊藤公も少壮のころ、品川のイギリス公使館に放火して尊王攘夷を唱え、安と酷似した行為が数々あった。」
この水野弁護士の反論の視点が傑作で面白い。

安は最期まで大物のように振舞った。そのために今日まで英雄視する韓国人も多いんだろう。たぶん日韓両国民の意識の差は今後も埋まらない。
なお、安の通訳を務めた韓国統監府通訳生・園木末喜氏の資料を発掘したのは佐木氏による手柄らしい。

この本は事実と記録を積み重ねていくもので、読んでいてあまり面白いものでもない。死刑執行の場面は読んでいて気が滅入る。

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