2018年6月23日土曜日

いとうせいこう&みうらじゅん「見仏記」(1993)

四半世紀にわたって継続中のみうらじゅん氏といとうせいこう氏の「見仏記」シリーズの最初の1冊を気まぐれで読み始めた。こいつも友人の本棚にあったから。平成9年の角川文庫版。

1993年というとすでにだいぶ昔感が強い。まだWindows95すら存在しない。ちゃちゃっとインターネットで調べるということもできない時代。

京都で生まれ育ち、小学生の時から京都の寺を回って拝観券やら仏像の写真やらをスクラップブックにまとめていたという、ちょっと普通でなかったみうら少年。12歳にして薬師寺管主・高田好胤の著書への書評を書いたりしていた。

雑誌編集者から作家へ転身したいとう氏とふたりで仏像を求めて、京都奈良だけでなく、日本中の寺を紀行しツッコミを入れる。みうら氏の感想がカンに基づくのに対し、いとう氏は学と知識があるようだ。

自分はいとう氏の本を読むのが初めてだったのだが、この人は文章が上手い。作家なので当たり前だが、テレビでよく見る人なので意外に感じた。
この人が気分屋みうら氏の機嫌にかなり気を遣っている。まるで接待。

みうら氏が「オレは黒石寺を推す!」という表現を使っていて驚いた。「推す」という言葉はAKBが最初だと思ってたからw そんな前から日常語だったのかw
あと、蘇民祭ってこの当時から有名な祭だったって知った。へえ。

あとこの本を読んで「聖林寺の十一面観音像」「浄瑠璃寺の吉祥天像」といった存在を初めて知った。
自分は以前上野の博物館に仏像を見に行ったりもしたけど、特に見方もわからず退屈していた。この本はフェノロサ、和辻、亀井と違ったフリースタイル拝観の魅力を教えてくれた。

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