2017年6月10日土曜日

吉村昭 「赤い人」(1977)

吉村昭「赤い人」(1977)の1984年講談社文庫版(1990年の第6刷)を手に入れた。108円。

北海道樺戸郡月形町という北海道開拓時代にできた町があるのだが、ここに明治14年に突然、樺戸集治監という恐ろしい監獄ができた。当時は石狩川を丸木舟でさかのぼるしか交通手段はない。逃げようにも生きて脱出できない場所。

江戸時代の日本は世界でも類のない残虐な刑罰をしていた。明治になって少しはよくなった…と、小学生当時の自分は日本史の授業で習ってなんとなく勝手にイメージしていたのだが、大人になっていろんな本を読むようになって、明治時代もかなりの地獄だなって考えるようになった。徳川が薩摩長州に代わっただけで、むしろさらに酷い世の中になっていた。

初期の北海道開拓が、本土から集治監に送り込まれた囚人たちの労役によってなされたことはなんとなく知っていたのだが、この本を読むと人権無視の過酷で劣悪な条件下で強制された奴隷労働だったことを改めて知った。

西南戦争以後、本土の監獄は囚人であふれていた。最初に送り込まれた囚人たちは強盗殺人などの凶悪犯と、国事犯などの無期徒刑、長期刑囚人。最初の冬の段階で異常な死亡率だ。劣悪な食事と、足袋すら与えられない裸足にわらじ履きでの寒さと飢えの重労働。医療もまったくない、薄い毛布1枚で暖房すらない状況。多くが数年以内に死亡するという地獄…。

看守たちも士族から希望者で選ばれているのだが、生活に余裕がまったくなく、規則だけ厳しくてミスをすれば免職、懲戒、減給というペナルティによって追い詰められていく。さらに囚人に厳しく対処。看守と囚人が相互に憎悪しあう。

樺戸集治監は常に逃亡するものがあとを絶たなかったのだが、逃亡したほうも地獄が待っていた。逃亡した囚人は抵抗すれば斬殺、射殺されていた。周辺の集落にとっても逃亡してくる凶悪な囚人は恐怖。

石炭と硫黄の鉱山での死者数と病人と重傷者の多さがまったく異常。これを何とも思わず感じなかった明治の政治家と役人も異常。

初代典獄で月形村に名前を残した月形潔という人物には以前から関心を持っていた。明治日本の行刑史においては重要な人物だが、とくに立派だとは感じなかった。
政府の黒田清隆、金子堅太郎、初代北海道庁長官岩村通俊、例外なく人権という意識がない。自分は明治時代の政治家や役人で尊敬できる人は1人もいないと思っている。

吉村昭の文章は論評や個人の考え抜きに、記録上に残った死者や日々の労働内容、中央政府と開拓使、北海道庁の人事、改善と改悪、病死、事故死、逃亡者、事件をひたすら淡々と書き綴っていく。

この本を読むと明治日本と北海道開拓のイメージが変わる。本当に恐ろしい本だった。北海道は死屍累々の呪われた土地の上に建っている。

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