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2017年4月21日金曜日

吉村昭 「間宮林蔵」(1982)

自分は昔から樺太と千島に強い関心を持っていた。かつて日本だったのに日本人が行けない場所へのノスタルジア。空想で自分はこの地域を旅する…。

吉村昭「間宮林蔵」という1冊に出会った。講談社文庫1987年版の2002年第24刷。108円で購入。

自分は数年前、筑波山で間宮林蔵がかつて立身出世を願った岩という場所にたまたま出くわしたことがある。その人については「間宮海峡」に名を残す探検家という知識しかないが、以前から気になっていたテーマと人物なので今回手に取った。
自分は江戸時代の蝦夷、択捉の探検家たち、近藤重蔵、最上徳内、松浦武四郎といった人物のことも知りたいと思っていた。

この本は文化四年のロシアによるシャナ襲撃事件から始まる。これ、自分は今回初めて知ったのだが、前年に起こった樺太の久春古丹襲撃と同じく、ロシアの逆ギレ海賊的侵略行為。
殺害、拉致誘拐、食料の略奪…、多くの日本人が人生を狂わされた。なんとそこに普請の役人として間宮林蔵が居合わせた。

津軽藩、南部藩兵合わせて250人以上がシャナ会所に駐在していた。サムライは函館奉行と江戸幕府を代表してそこにいるので、戦わずして退避したとなると責任を糾弾追及される。実戦経験もないのに責任者だった戸田又太夫は退避途中に熊笹の茂みの中で自刃…、なんと哀れ。
多くの武士たちが聴き取りのために函館、江戸に送られる。武士としての身分をはく奪され追放。何の落ち度もないのに。哀れ。
だが、間宮林蔵は最後までロシアの艦船に対して徹底抗戦を主張したし、その主張を裏付けてくれる人も生き残った。
これによって後年、樺太の北がどうなってるのか?現地へ赴いて調べてみたいという野望がかなう。

この本を読むのにぶち当たる困難が土地カンがないこと。
択捉島は今も日本の領土なので国土地理院にある地図を用意して、シャナ、ルベツ、ナイボという地名は判別ついたのだが、アリモイ、フルベツ、タンネモイがどこだかわからない。

樺太はすでに日本でないので、国土地理院サイトに地図がない。だが、戦前の地図をネット上で拾えた。北緯50度以南まで。

久春古丹って大泊のことか!今ではロシアが勝手にコルサコフって名前をつけている。豊原にしてもユジノサハリンスクだし、真岡もポロナイスクだ。
自分は千島全島は日本に返せ!って思ってる。北方四島だけ返還なら樺太の南半分も返せ!って主張w 日本も中韓がやってるみたく、相手がウンザリするようなプロパガンダ戦をすればいいのにって思う。

話がそれたので本に戻る。間宮が願い出て樺太を探検するはずが、いつのまにか松田伝十郎という上役が加わえられた。アイヌの言葉に堪能で択捉での越冬経験もある。間宮29歳、松田40歳。

松田が白主からそのまま樺太西海岸を北上したのに対し、間宮は亜庭湾沿いに久春古丹へ向かい、中知床岬を陸路横断、富内湖を経て東海岸を北上し多来加へ。北知床半島を陸路で横断し東海岸へ出る。このあたりにはアイヌ人とは言葉の通じないオロッコ人の住む世界。
自分はオロッコ人という言葉を初めて聞いた。オロッコ人についていろいろネットで調べてさらにいろんなことを知ったのだが、それはまた別のとこで。

東海岸は海が荒れて潮が早く、これ以上の北上を断念。真縫(マアヌイ)まで戻り、樺太のくびれ部分を陸路横断し西海岸の久春内(クシュンナイ)へ出る。北上し松田を追いかける。モシリヤに達すると今度はギリヤーク人の居住エリアだ。さらに清国の支配地域から来る山丹人という粗暴な民族とも出くわす危険地帯。

樺太西海岸は英仏の船が北上を試みたことがあった。海深が3メートルほどしかなくそれ以上進むことを断念。アムール川河口以北は誰もみたことがなく、サハリンと樺太は同一で半島なのではないか?というのが当時の世界の知識人の共通理解だった。

樺太が島であることを最初に知った人物が間宮林蔵なわけだが、松田は?って疑問に思っていた。この本を読んでそのへんの事情が分かった。歴史に名を残す人は最後まで完璧に仕事をした人だけ。

アイヌ人たち従者の協力を得て間宮林蔵は単身で再び白主会所から出発し2回目の北上。
寒さと飢え、悪路に蚊の大群。野菜不足による体調不良、凍傷の恐怖。あと、人間関係w

この本で印象深かったのが、アイヌたちが北上することにビビリまくりだったこと。獣のように粗暴な山丹人に出会うと殺される!アイヌにとっても樺太北部は世界の果て。

19世紀初頭のサハリン北部がどうなっているのか?ここ、未知の世界すぎて読んでいてすごくワクワクする大冒険。

ノテトのギリヤーク人酋長コーニに付き従って、海を渡りアムール川をさかのぼり東韃靼へ入国。清国の役所のある交易の集落デレンへ。
異民族が朝貢と交易に来ている様子がまるで「スター・ウォーズ」で見たような風景w

樺太の北部とアムール川流域が清国の影響下にあることを確かめた。

デレンからの帰路、大海の向こうに横たわるサハリン
林蔵は、小高い地に立って海を眺めた。樺太の北端がみえ、その後方には果てしなくひろがる北の海がひらけていた。かれは、あらためて樺太が離島であり、東韃靼とは海峡をへだてて位置していることを確認した。
西欧の地理学者たちは、世界でただ一つの謎の地域である樺太を、東韃靼の地つづきである半島と断定している。日本でも、その説をいれて、樺太が半島であることは定説となっているが、林蔵が眼にしている樺太は、あきらかに島であり、東韃靼との間には海峡が横たわっている。それは、世界の地理学会にとって、定説をくつがえす驚くべき大発見であった。
この本、この1年で読んだ本の中で一番面白い。知らなかったことだらけ。映画化希望。

だが、この時点で本のようやく半分地点。

間宮林蔵の偉業は江戸でも大きな話題。
後半は異国船事情と海防のご意見番、そして隠密としての林蔵が描かれる。
伊能忠敬との出会い、ゴロブニン事件、そしてシーボルト事件。浜田藩による竹島荷抜け事件。文化文政から天保年間までに起こった日本史の重要トピックを知ることができる。

自分はこの本を読むまで、間宮林蔵にシーボルト事件の密告者という側面があったことを知らなかった。尊敬のまなざしで見られていた林蔵へ、蘭学者と周囲からの冷たいまなざし。
生涯を独身で過ごした林蔵の老い、そして死。

この本は出会えてよかったと思えるすごくいい本。広くオススメする。

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