2016年10月22日土曜日

江夏詩織の常陸太田・鯨ヶ丘

バンドlovefilmのギターボーカルでモデル女優の江夏詩織(21)は茨城県・常陸太田市の出身。中学3年でSEVENTEENモデルとなった後もしばらくはこの街で過ごしていた。東京へ出るまでほとんど茨城から出たことがなかったという。

改名前の北山詩織時代に故郷をPRするネット番組「いばキラTV 北山詩織の旅写真」に出演し、茨城県の魅力を伝えていた。

動画サイトで見た。じゃあ、常陸太田に行ってみよう!w 
実は自分は常陸太田という市を今までまったく知らなかった。しおりのおかげで初めて知れた。
大子町で袋田の滝を見てキャンプをして、今回の北茨城旅行のもうひとつの目的地・常陸太田へ移動。
駐車場があるか心配だったのだが、我々が訪れた時期はKENPOKU ART 2016 茨城北芸術祭という、地域をあげてのアート展示をやっていたので来客用の駐車場があった。旧常陸太田市役所(現郷土資料館)もこんなアート仕様。
常陸太田の中心部に鯨ヶ岡という岡がある。くじらのような形をした丘なので名前がついた。その上に古い商家が立ち並ぶ町並みが残っている。北山詩織に教えられた場所が目当て。
常陸太田は戦国武将・佐竹義宣(1570-1633)の生まれた太田城のあった場所。現在では本廓跡は太田小学校になっている。舞鶴城跡という碑がある。

佐竹氏は新羅三郎義光まで遡れる超名門の家系。その一族は後に水戸へ移る。
そして関が原ではあいまいな態度で家康に接したために秋田・角館へと転封。そして現在の秋田県知事も佐竹さん。
茨城といえば水戸黄門なのだが、ひょっとすると常陸太田の人々にとっては殿様といえば今でも佐竹義宣公なのかもしれない。商店街では佐竹の甲冑レプリカが飾られていた。郷土資料館で武具や書状なんかを見て来た。
くじら屋さんでくじら焼きをいただく。くじら焼き?つまりたい焼きのくじら版w
小倉あんを注文したつもりだったのだがカスタードだったw 店内でいただいた。麦茶はセルフサービス。芸術祭もあってなかなか繁盛していた。
「ぱくっ。」 
自分も鯨ヶ岡でたくさんフィルムで写真を撮ったよ。しおり。これがlovefilmだよ。しおり。
板谷坂からの眺め。鯨ヶ岡は中世の城郭都市といえるかもしれない。
いつものようにこんな細かい場所も押さえた。
郷土資料館の階段
「北山詩織の旅写真」で「鯨ヶ岡は塾とかあったんでよく来ていた」と言っていた。鯨ヶ岡には学習塾が2つあった。どちらがしおりが通った塾かは不明だが写真に押さえたw
北山詩織の通った小学校中学校高校も不明なままだ。常陸太田には太田第一高、太田第二高、佐竹高の3つがある。おそらく東京へ出る直前まで通っていた高校はこのうちのどれかだと思う。
時間が止まったような街だった。この街を知れてよかった。北山詩織と「いばキラTV」さんのおかげだ。
最後に宝暦年間創業の立川醤油店マンゴク醤油を買って帰った。店構えのイメージにぴったりな老主人が店に立っていた。普段使いの醤油とつゆを買った。
常陸太田の鯨ヶ岡はもっと多くの人に知られていい歴史ある街。

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