2016年9月10日土曜日

東寺の謎(2001)

「東寺の謎 -巨大伽藍に秘められた空海の意図-」(三浦俊良 2001 祥伝社黄金文庫)という歴史雑学本を気まぐれで手に入れて読んだ。108円。

2013年秋にとあるバンドの東名阪ツアーで大阪から名古屋へ移動。京都駅で途中下車、歩いて東寺へ初めて行った。

東寺が特別な寺であることはなんとなく知ってはいた。なにせ京都タワーが建つまでは東寺の五重塔が京都で一番高い建物だったことは知っていた。だが、何がすごいのか全く知らなかった。

この本を読んだことで東寺トリビア、京都トリビアをたくさん得たw
自分が東寺に行ったとき、そこに焼け焦げた仏像があったことを覚えているのだが、あれが何だったのかもこの本のおかげで知ることができた。昭和5年の火災で四天王像など多くが焼けてしまったのだった。
この本を読んでから東寺に行けばよかった。

平安京が創設されたときからそこにある寺は東寺しかない。それ、すごい。
東寺は嵯峨天皇から空海へ与えられた密教の根本道場。
そもそも空海がそこで暮らしてたってこと自体がすごい。

平安末期になると地震、嵐、飢饉、内乱、火災で羅城門、内裏が、そして西寺までもが失われて平安京が崩壊。
律令体制も崩壊。鎮護国家の役割も必要なくなり、東寺も荒廃。武士の間では禅宗が流行。

だが、鎌倉期には弘法大師信仰ブーム、文覚が上手く立ち回ったおかげで源頼朝の支援を得て修復。後白河法皇の六女・宣陽門院による荘園の寄進、後宇多天皇などの支援を得た。これらの幸運がなければ東寺は「東寺跡」しか残っていなかった可能性が高い。

その後、太平記の舞台。後醍醐天皇、足利尊氏、新田義貞、みんな東寺と深い関わりをもっている。その後も織田信長、豊臣秀吉が本陣を置いた。東寺はそのまま日本の歴史そのもの。

多くの伽藍が文明18年の山城の国一揆で消失。現在の国宝の金堂はその後に豊臣秀頼によって再建されたもの。

五重塔は過去に何度も火災で焼失したが、一度も倒壊したことがない。現在建っている5代目の五重塔は徳川家光によるもの。歴代の五重塔で最長期間そこに建っている。

明治初年の廃仏毀釈の嵐、太平洋戦争後の荒廃など東寺の危機はまだまだつづく。

東寺境内は戦後も狸が出たそうだ。弘法市の改革で香具師と交渉するとか、国宝を市と府に売って洛南高校の設備費に当てたとか、筆者の波乱の人生があとがきで語られる。昔の人々は心が荒んでるなって思った。

NHK大河って空海とか親鸞、日蓮あたりはぜんぜん出てこないな。もう信長、秀吉、家康や幕末は飽きた。そろそろ「太平記」が見たい。

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