このブログの記事を検索

2016年9月17日土曜日

日本の地下人脈 戦後をつくった陰の男たち(1986)

「日本の地下人脈 戦後をつくった陰の男たち」(岩川隆 祥伝社文庫)という本を手に入れた。この本は昭和61年に光文社から出版された文庫本の2007年の再版。

自分がこの本を手に入れた理由は第2章「上海人脈と児玉誉士夫」を読みたくて。

戦前の上海は日本人にとってそこにある国際都市。エリートや一旗揚げたい日本人はみんな上海を目指した。戦後の政官財界のエリートたちはみんな上海を懐かしむ。
日本史にとって上海は重要な土地なのに教科書で教えてくれない。

岩井英一・元上海副総領事によれば
当時の日本人が内地で受けていた教育というものは、じつにお粗末なもので、日本が、天皇が、世界の中心にあるような観念につらぬかれていたのです。したがって天皇の軍隊、つまり軍隊のやることはなんでも正しい、悪いのは支那人だ、蒋介石だという先入観を持つのが当然です。そういう気持ちで上海にやってきて、しばらくすると、自分の考えがとんでもないまちがいだったことに気づく。まず、中国人の底知れぬエネルギーとというか、ものの考え方というか、そういうものに圧倒されてしまうんです。悪人たちどころではない。自分たち日本人よりも数倍うわ手の人種だということに気づく。
上海でもまれて戦後日本に戻った人々には内地の人々が子どもに見えたという。この老外交官の言葉は現代の日本人にもそのまま当てはまると思われる。

当時の上海は岩井機関、影佐機関、坂田機関、里見機関、許斐機関などの特務機関が暗躍していたこれ以上ない闇世界。
著者は当時の上海日本人社会で当時20代の児玉誉士夫と接した人物たちにインタビュー。この当時は大陸の闇に接した人がまだ多く生存していた。

児玉は汪兆銘の身辺警護のために上海に送り込まれたのだが、会った人々は「ハッタリ野郎」「あんな挨拶のしかたをするヤツは見たことない」「2000円の工作費を渡しても使い道がわからない」「なんであんなヤツが?」「国士とかw」と散々の酷評。なのに戦後の日本政治を影で操ったフィクサーへと変貌。
終戦の前日に上海から朝日新聞機で運ばれた金塊が鳩山日本民主党創設のために使われた。

岩田幸雄氏による東光公司・水田光義殺害事件に関する証言がナマナマしい。当時を知る人物たちの貴重な証言がなんとかギリギリでこうして残った。

そして第3章「満州人脈と岸信介」
本庄繁、板垣征四郎、石原莞爾の満州はやがて二キ三スケ(東條英機、星野直樹、鮎川義介、岸信介、松岡洋右)の時代になり、王道楽土の精神が失われていった。中央から優秀な官僚たちが満州国・新京へと送り込まれた。

大蔵省から出向した星野直樹が学者肌のお固い官僚だったのに対し、商工省の岸信介は親分肌で宴会好き、政治力があったという。そんな岸の人脈をささっと解説。

さらに満州国の官吏養成機関・大同学院、引揚者、満州特務機関員など、戦後の日本を動かした見えない人脈の存在に注目する1冊。

元特務機関員たちが戦後口をつぐんだ理由に唸る。「マスコミに喋ってもしょうがない」「マスコミは言葉尻を面白おかしく取り上げて歴史を歪めてる」と。昔も今も変わってない。

この本、面白かった。

PS. この本の第1章では時の首相・中曽根康弘の性格と人脈について書かれている。
自分はこの人をなんとなく群馬出身で元海軍のエリート青年将校ってイメージで見ていた。高崎中→静岡高→東大法→高文で内務省→海軍経理学校という経歴を振り返って、中曽根の人脈について書かれている。
海軍経理学校とは「海軍主計短期現役第六期現役補修学生」のこと。通称「短現」。
これ、今までまったく自分にはイメージできてなかったけど、ようは東大や東京商大、慶応といったエリートたちをいきなり戦地に送って死なせないための海軍の知恵。「兵役のがれの意味もあった」と書かれている。戦地で死んでいった若者とははじめから区別されていたんだな。
ここの出身者は戦後日本の社会中枢へと散らばっていく。
眉目秀麗の青年士官・中曽根康弘は呉、横須賀、高雄などに勤務の後、高松で終戦。戦後すぐに政治の道を志してたちまち頭角を現す。
で、この夏、東京日の出町にある中曽根別荘「日の出山荘」を初めて訪問してみた。1983年にここでレーガン中曽根会談があった。政界引退後もここで過ごしていたのだが、2006年に日の出町に寄贈され公園として整備されている。

ここ、すっごく蚊が多い!スマホ構えてる数秒の間に腕に顔に蚊がまとわり付く。刺されまくった。夏や秋に行くひとは虫除け持参が望ましい。

300円払って事務所のゲートを通過できる。茅葺屋根の農家の民家。中曽根氏はこれを昭和37年ごろ手に入れた。中にはレーガン大統領夫妻との写真、竹下、安倍、宮沢といった「自民党のニューリーダー」といわれた3人と囲炉裏を囲んでいる写真が展示。座敷には上がれない。
だが、この奥にある別邸が、別荘でありながら超豪邸!w 誰もいない。自由に歩きまわれる。
普通に誰かの家にお邪魔してる感覚。今も誰かが生活しているような雰囲気。
各国首脳から送られた記念品や写真パネルが展示してある。エリザベス女王やサッチャー首相、ミッテラン仏大統領、胡耀邦総書記なんかの写真があった。
1983年のレーガン大統領日の出町訪問はてっきり横田基地から車列を組んでやってきたのかと思っていた。だが、平井中学(廃校)へとヘリで降り立ったのだった。輝かしい日の出町の記憶。

0 件のコメント:

コメントを投稿