2014年11月22日土曜日

Drop's のルーツ

札幌のガールズバンドDrop'sについて「音楽と人」2011年8月号が詳しく記事にしてくれているのを発見して買ってきた。

当時、Drop'sの5人とも高校3年生で17歳。なんと金光氏が5人の母校・札幌開成高校の内部に突入。放課後の校内を案内してもらいながらのフォトセッション。窓から顔を出している写真とか、5人ともふつうに初々しいぞ。インタビューは「学校近くのケンタッキー(笑)。」

Drop'sというバンドはなんといってもギターボーカル中野ミホの個性につきる。中学ではバラバラだった5人は高校入学と同時に軽音楽部へ。バンド結成のいきさつはこのインタビューにとても詳しい。
奥山「学校の説明会の時に、軽音部を見学して、入学したら絶対入ろうって決めてました」 
小田「私の中学校からの友達でもうひとり、軽音楽部だった人がいて。私はその人に誘われて入って。黎香(奥山)とバシ(石橋)が同じクラスで」 
奥山「最初はその友達と3人で組んでたんですけど、ヴォーカルがいなくて」 
荒谷「その時、私がギターを教えてくれって頼まれて。で、4人がヴォーカルを探してるって聞いたから、ヴォーカルやりたいって言ってた中野を紹介して。同じバンドになった」
中野ミホは「校舎の玄関にある花壇のところで」でSuperfly「愛をこめて花束を」を歌って聴かせたという。
小田「中野の唄ったSuperflyの『愛をこめて花束を』を聴いて」 
荒谷「ヴォーカルやりたいならちょっと唄って、って言ったら、その場でアカペラ熱唱(笑)」 
小田「聴きたいって言ったら、いいよ!って(笑)」 
奥山「凄いと思った。こんなふうに唄う人、周りにいなかった。だからこういうバンドをやろうって」
自分も初めて中野ミホの歌唱を聴いたとき(2013年のJOIN ALIVEでだが)ぶったまげた。
自分もこんなふうに唄う女の子を初めてみたから。それは小田も奥山も同じだったのだ。中野の歌唱はそれだけ個性的。中野の音楽趣味も個性的だった。
奥山「高校入ってから、中野にいろんな音楽を教えられたんです、みんな(笑)」 
金光「ミッシェルとか知らなかったでしょ?」 
奥山「全然知らなかったですね」 
中野「最初の頃は『これバースデイってバンドで、私大好きなんだ!』って聴かせても『……ふーん』みたいな反応だったよ(笑)。」
これからバンドをどうしようか?という会議をするためにガストへ。
中野「字面と、響きがかわいいから」という理由でDrop'sに決定。ドロップスというバンド名は中野がミッシェル・ガン・エレファントの「ドロップ」が好きだったことに由来する。ドロップスのライヴSEはもともとはミッシェルの「マシュマロモンスター」だったそうだが、「好きすぎて やりづらい」というこで、父親が聴いていたCDからオーティス・ラッシュを選んだという。

中野は「エレクトーンを習っていて、中学の時から、学祭やエレクトーン発表会で唄っていて、今Drop'sでやっている曲には、その時の曲もあるんです」というからやはり中野の音楽的素養をはぐくんだのは家庭環境にあったようだ。
中野「それから1年はずっとSuperflyのコピーをやってました。アルバムのスコアを全部買って(笑)。」
中野の音楽ルーツはチバとSuperflyとブルース。ライブの客は比較的年齢の高い男性が多い。それを中野も自覚しているようで、「ぴあ」のインタビューでは「もっと、自分たちと同い歳ぐらいの人にもアルバムを聴いて欲しいし、ライブにも来て欲しいですね(笑)」という気持ちも吐露。

やがて高校生バンドコンテストのために中野はオリジナル曲を書く。それが「泥んこベイビー」。グランプリをとってしまった。以後、石橋「大体の構成は中野が考えて、アレンジをみんなでする。そして歌詞は全部中野が書いて」というのがドロップスの楽曲製作。あと、中野の歌唱はだんだんとハスキーになっていったという。
中野「最初はもうちょっと……キレイ、まではいかないけど(笑)」 
奥山「お母さん心配してたよ(笑)」 
中野「『愛をこめて花束を』もキレイに唄ってた感じなんです(笑)。でも自分のオリジナルを作っていくと、もっとハードに唄いたいというか」 
荒谷「急激に枯れてきたよね(笑)」
とりあえず中野のSuperflyカバーも聴きたいw

本人たちはもっと大きな会場で演奏することを夢見ている。ロキノンフェスにも呼んであげてほしい。ガールズバンドはいつまでも安泰でないことは今までいろんなバンドを見てきた経験から知っている。早いとこ大ブレイクしてくれないと心配。テレ東JCDのEDテーマだけど、今年もCDJへの出演者リストに名前がなかったな……。

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