2014年9月22日月曜日

信州伊那の高遠

先週の3連休に友人と信州伊那の高遠に行ってきた。高遠ってどこ?って思う人も多いかもしれないが、毎年桜のシーズンには東京や名古屋から多くの観光客が訪れる街。
戦国時代は諏訪氏一門の高遠氏の居城だったのだが、後に武田勝頼が入り、織田信忠の大群に攻め入られた。 江戸初期には保科正之が城主だった。
新宿御苑は江戸の昔は内藤家の下屋敷があった場所だが、内藤家は明治まで高遠城主だった。
高遠の見どころはコンパクトにまとまっている。「絵島」の墓がある蓮華寺まで歩く。高遠は「絵島生島事件」の絵島(江島とも書く)が遠流された場所。
絵島は将軍家宣・家継の時代に大奥で月光院の片腕として権勢を振るった人物。「絵島生島事件」は疑獄事件というよりは将軍継嗣問題と大奥内部の勢力争いと粛正。役者と密会していたとして、些細なルール違反を咎められて断罪。舟橋聖一の小説で有名になったらしい。仲間由紀恵主演の「大奥」という映画がある。
歴史博物館に絵島囲み屋敷が復元されている。33歳から60歳で亡くなるまで幽閉。一日2食一汁一菜でおやつなし。紙と硯も与えられない。1日外の景色を格子の隙間から眺めるだけ。
建福寺には武田勝頼の母・諏訪御料人(享年25才、湖衣姫は新田次郎がつけたニックネーム)の墓がある。
右が湖衣姫の墓。真ん中が保科正直の墓。左が保科正光の墓。保科正直は会津藩主・保科正之の養父。正光はその子。
高遠は石工のまちでもある。守屋貞治の作と伝えられる石仏がたくさんあった。
高遠は蕎麦のまち。「高遠そば」は大根の搾り汁に焼いた味噌を溶き入れたものがつゆの代わり。そばきりのオールドスタイル。それだと満足できない人のためにちゃんと普通のだしつゆも用意されている。我々が入ったのはたまたまそこにあった「壱刻」という比較的新しい小さなお店。店内に三谷幸喜のサインがあった。
夏の終わり、観光シーズンから外れた時期だったために、まちに人がほとんどいなかった。時が止まった街だった。
事前に何も高遠のことを知らなかったし、何も事前に調べていなかった。上に書いたことはすべて歩いていてたまたま出合って知ったこと。
高遠の饅頭と地場産の酒をお土産に買い求めた。高遠は桜のシーズンしか人が来ないことに危機感を抱いているらしく、紅葉シーズンと新そばの時期にも来て!と勧められた。
カメラを持って歩くのに小さくていい街なので是非行ってみてほしい。ほんとは桜の季節がいいのかもしれないが、桜は日本中何処でもきれいだし。

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