2014年4月20日日曜日

三増合戦場を歩く

Nounen_mimase
「世にも奇妙な物語 春の特別編」の能年玲奈主演「空想少女」のヒロインは戦国武将オタ。

能年の口から「三増峠」という地名を聞くまで、自分は神奈川県愛甲郡愛川町の三増という地名を聞いたこともなかった。そして、このドラマを見るまで、武田信玄が小田原を攻めたという史実すらしらなかった。
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はいここが愛川町三増古戦場の史跡。ちなみに、能年はこの場所へは来ていない。たまたま自分はこのドラマを見たとき、ずっと武田信玄の本を読んでいる最中だった。だが、武田が小田原を攻めて甲州へ帰る途中で起こった大合戦の箇所に到達するちょっと前のことだった。
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武田オールスターが三増峠と志田峠をむすぶ尾根に展開。北条氏照、氏邦、玉縄城主北条上総守綱成が追撃。武田軍2万、北条軍1万3千。
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武田信玄本陣があった場所へ向かう。ここから徒歩だと20分ぐらい?右手の山の上。ゴルフ場のクラブハウスからキツイ山道を10分ほど登る。
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武田信玄が旗をかけたという松の木はすでに大正時代に失われている。今は石碑と2代目の松がそこにある。
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信玄が見下ろした三増の古戦場。戦闘は森の中で行われた。考古学調査をすると青年男性の人骨がでたそうだ。北条軍が大敗した。「甲陽軍鑑」によれば討ち取った北条軍の首は3269あったと書かれている。

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信玄本陣から志田峠を眺める。峠の向こう側になんとなく見えてる山は仏果山。北条軍を一蹴した武田軍だったが虚しい勝利だった。吹雪の中、負傷者を連れて甲州街道を帰る。
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武田軍は浅利信種という大将を失った。この辺りで北条上総守の長男氏繁の鉄砲隊の弾に当たって馬上で即死。信玄は墓をつくった。寛政元年に村人が墓の脇を掘ったところ小さな骨壷がでてきたので墓地の北に浅利明神として埋葬。ここからちょっと上った場所に浅利信種の墓と浅利明神はある。

なんとなく関ヶ原に雰囲気が似ていた。自分にとって古戦場見学は2度目だった。450年前、若い武者達が生死をかけて刀を振り回した場所では、今や中高年がゴルフクラブを振り回している。

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