2013年8月15日木曜日

「天皇の玉音放送」を読む

「天皇の玉音放送」小森陽一(2003 五月書房)をぱらぱらとめくって読み始めた。これも友人の本棚から借りてきた1冊。一時期話題になった本らしい。

玉音放送全文掲載、そしてCDが付いていることが重要なのだが、CDがどこかへ逝ってしまい紛失中。

玉音放送を録音した玉音盤には劇的なドラマがあるので、てっきりそんな内容だと思っていたらまったく違った。この本のテーマは昭和天皇ヒロヒトが戦争責任を回避していくプロセス。著者は「終戦の詔書」のレトリックを執念深く底意地悪く追求していく。この著者は国文学者で生まれたときから日本共産党員。読み終わってから著者の経歴を知った。

あの毎年夏にテレビから流れる「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の全文はもちろんもっともっと長い。だが、なぜこの箇所しか流れないのか?

自分は長年、終戦記念日の「玉音放送」は、国民に「戦争負けたから。」「戦争終わるから。」「ポツダム宣言受け入れるから」って教えるための放送だとばっかり思ってた。ドラマでもそんな使われ方をしていたし。

だが、内容は内外への「天皇制継続宣言」。「国体護持宣言」だったって?ええっ?!

しかも対英米戦争の4年間のみにしか触れていない。天皇の「開戦の詔書」と「満州問題」の責任をあいまいにするためだと著者は言う。

自分は学生のとき読んだ本で、ポツダム宣言受け入れが遅れた理由は、伊勢空襲で昭和天皇が国体護持と「三種の神器」を心配したから…ってなんとなく聞いたことあった。天皇制廃止論者サイドの主張なので本当かどうかわからないって思ってた。この本ではそこを厳しく追求してる。

終戦という「聖断」の箇所、後の回想録などで居合わせた大臣たちはみんな泣いていたことが何度も強調されている。聖断がいかに重いものであるかを強調するために「すすり泣き」だの「号泣」だの……「源平合戦か?!」「太平記か?!」と著者は容赦ない突っ込み。まるで「中世」な側近たちのレベルが低い!と一蹴。

戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印から4日後に組閣された東久邇稔彦内閣のとき「一億総懺悔」という言葉が生まれた。自分は長年てっきりこの言葉の意味を「無謀な侵略戦争起こして犠牲になった人たち、アジアの人たちにごめんね」っていう意味だと思ってた。だが本当は「ベストを尽くしたけど負けてしまいました。陛下、ごめん。」「聖断で天子である陛下の心を悩ましてごめんね」という意味だった!?ええぇっ?!

東久邇宮はポツダム宣言を忠実に実行することで国体護持…とか意味不明な論理でポツダム宣言をまったく理解してなかったことにも言及。治安維持法もそのまま存続していくつもりだった。昭和20年10月10日に徳田久一ら政治犯がいっせいに釈放になってるが、東久邇内閣は9日に総辞職。日本人は思想と信条の自由を自分たちの手で手に入れることはなかった。9月に三木清が獄死したことにショックを受けたGHQからの命令。

敗戦を終戦と呼んだりしてたように、多くの人が「戦況が好転しないから戦争やめるだけ」って強弁。ある意味すごい発想。「負けを絶対認めない人」って強いなって思う。今の時代、自ら死を選んでしまう人が少なくないが、実際は少し勝っているのに負けてる…って弱気になるよりはいい。

この本の著者によると、戦後日本の屈辱的対米追従も日本全土が基地化したのも、絶望的に押し付けがましい安保も天皇の自己保身のせい。有名なマッカーサーとのツーショット写真が撮られたのは第1回会談。なんと第10回まであって、新憲法に違反して、元首としての外交介入があったということを初めて知った。「全責任発言」もその後の情報公開資料からなかったことが確定しているという。発言はあったとする学者を厳しく批判している。
希望的観測としての欲望を語っている者らと、同じ土俵で議論することはできないし、してはならないのである。なぜなら、単なる欲望でしかないことがらを、あたかも事実をめぐる推測や憶測として語る言説こそが、なにが事実として確立できるのか、ということについての判断停止を組織するからである。
ここ読んで「日〇歴史共同研究」のことを思い出した(笑)。

「自衛隊合憲の論拠」であったかのように語られる憲法9条「芦田修正」も「芦田日記」の刊行によって、修正目的がまったく異なっていたことが半世紀をへて判明。
その論拠自体がウソに塗り込められているというところに、この国の戦後史における、言葉の真実性と事実性が存在しないという危機の深刻さがあるのだ。
うーん、考えさせらる。ちょっと話はズレたけど、天皇制が戦後も存続していく過程を詳しく知るのにとてもいい本だと感じた。だが著者が活発な市民活動家であることは念頭に置いて読んでいく必要はありそうだ。

5 件のコメント:

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    「玉音放送」の内容の是非より前に、天皇の宣言に至るまでに敗戦処理ができなかったことが問題でしょう。誰も責任を取らないからです。でもそれは、わが国固有の性格かと思っていたけど、昨今の世界を見ていれば、それは日本に限ったことではないのですね。
    問題は「責任を追及しない」、「責任を追及する者を嫌う」、権威や表面的な形式を盾にして「なあなあで曖昧に済ませることが美徳」であるかのような日本人の社会だと思いますね。
    「罪を憎んで人を憎まず」って・・・責任を追及することは人を憎むことではないと思うのです。

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    幼い頃に「皇族っていいなぁ、働かなくて」って言ったら、祖母に「あの人たちは税金で食ってるんだよ」って言われたのを思い出しました。
    今を思えば、皇族になったら車を高速で飛ばすなんてことはできませんし、ハコ参戦なんてもってのほか。「血税で何やってんだ!!」って国民の反感を買いそうです…。
    未だに天皇制に疑問ありです。天皇は王様ではなく象徴…つまりシンボル。海外の皇族が国民に愛されるのとは違う感じがします。なくせば、右の人たちが暴動を起こしそうで恐いです…。
    関係ない話ですが、皇族に纏わるので。
    大井町にあるJRの車輌基地に一般公開は絶対にしないお召車輌があります。以前は客車だったのですが、現在は電車の中間車で皇族が乗る車輌のみがそこの地下にあります。客車から電車…時代の変化とともに進化しています。あと、職場の上司に「日本の鉄道のダイヤが正確なのは、お召列車を走らせる時にすれ違う列車をなくす為だ」と言われました。つまり、暗殺者による狙撃を物理的にできなくするためだそうです。
    日本の鉄道の歴史に少なからず影響をもたらしているんですね。

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    失礼。最初のコメントに名前忘れました。
    大井町にはそんな秘密があったのか!

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    それ、なにげにすごい証言だな。

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    都知事の猪瀬さんの本にそれに触れた箇所がありましたね。
    お召し列車が走る時は
    ・上を通過する電車がない
    ・並走しない
    ・抜かない?(これはちょっと自信ない)
    ようなダイヤを組むそうで、職人のような技術が必要とされ、当日も電車に乗り込んで臨機応変できるようにするとか…
    たしかミカドの肖像だったかと、割と最初の方に出てきた気がするので、興味があったらサラッと読んでも良いかも。

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