今年は太宰をちょっとは読もうと思っていてこれに出会った。太平洋戦争末期に書かれた、鎌倉幕府3代将軍源実朝を描いた時代小説「右大臣実朝」、仙台留学時代の中国の文豪魯迅と学生の交流を描いた「惜別」の2編が収録された新潮文庫版。この2作は太宰中期の傑作という扱いらしい。
自分はハイキングに鎌倉や埼玉の比企郡へ行ったり、鎌倉街道を歩いたり、畠山重忠居館跡を見たりして鎌倉武士ゆかりの土地に触れていたのだが、鎌倉時代の歴史をまったく知らないまま過ごしていた。これは自分に何かを与えてくれそうな本だ。まず「右大臣実朝」
読み始めると、どうやら実朝公に幼い時から仕えた臣下のものが20数年前を回想する形式になっている。吾妻鏡からの引用部分が「古文」でとても読みにくいし頭に入ってこない。
高校時代の古文は自分にとってなんら掴みとることができなかった苦手科目。難儀した。この箇所は読まなくてもいいのかなと思ったのだが、やはり読んだほうがよさそうだ。
役職名で呼び合うので、誰が誰だかわからない。パソコンで鎌倉幕府3代の関係と事件について基礎知識を得てから読んだほうがよさそうだ。大江広元、和田義盛、北条義時、鴨長明といった人物の性格も細かく描いている。太宰が自由にイメージを膨らませて書いているようだ。
この臣下の者が実朝はこんな人だったとエピソードを語っている。この人はよほど実朝ファンだったんだとわかる。この人はそのまま太宰本人だ。
「金塊和歌集」で知られる歌人で芸術家の実朝を太宰は以前から小説にしようと調べていた。世俗を超越した存在のようだ。この人の発言は常にカタカナで書かれている。書かれた時代のためかどこか昭和天皇をイメージする。
平家琵琶を聴いている実朝に、「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」という言葉を太宰は言わせている。戦争末期の日本の姿か。およそ武家の統領らしくない人物だ。御家人たちの争いを裁くことだけが重要な仕事だった。あとは歌をつくって祝宴。
渡宋船が打ち捨てられた浜で公暁と「蟹、食べいこう~」のシーンだけ何故かすごく読みやすい。このシーンだけ他と違う雰囲気。公暁から「京都人は軽薄で口が悪い」だの、実朝の悪口だの聞かされる。このシーンも完全な太宰の創作だろうけど印象深い。
実朝暗殺の箇所は増鏡から引用だけで突然終了。あの鶴岡八幡の石段だ。実朝享年27歳、人生ははかない。
次に「惜別」。こちらはずいぶんと読みやすい。明治日本、ただひとり仙台で医学を学んでいた留学生周樹人。その同級生が40年前の思い出を回想するスタイル。周樹人とは若き日の魯迅だ。文豪魯迅は名前しか知らない。
田舎から仙台へ出た主人公の青年が訛りにコンプレックスを持ち、東京人を避けて孤独でいる姿は、津軽から東京へ出た太宰そのものなんだろう。支那から国費の留学生と言葉を気にすることなく何でも話ができた……という設定。
エリート明治学生気質を知る作品。日露戦争当時の日支関係を知る。魯迅が語る少年時代の祖国の悲惨さが強い印象に残る。だが、この作品は巻末の奥野健男の解説によれば戦時下の当局からの依頼で書かれた「国策小説」らしい。
こんなふうに日本と支那はお互い尊敬しあって分かり合えるんだよと。日露戦争に勝った日本を魯迅青年は褒めちぎる。この箇所は読んでるときから気になっていた。そんなこと魯迅の口から言わせていいのか?
祖国のために何を学ぶべきか悩んでいた魯迅は医学から文学へ転向。これぐらいの気概がなくちゃ学問なんて何にもならないなって思う。
そして今日は桜桃忌だ。
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東北人は寒い土地柄から言葉を飲み込んで口の奥でボソボソ話します。表情に表すのが苦手かも。更に東北5県は1つ抜け出た宮城県にもコンプレックスというか対抗意識というか・・・。
「惜別」の主人公。松島で会った魯迅が中国人と知ってから安心して会話できる辺りが、太宰の心情と重なって理解できる気がします。
愛用する青空文庫は、太宰も魯迅も殆んどの作品がルビつきでデータ化されてるので改めて感謝。
「右大臣実朝」「惜別」も実は読んだことが無かったです。この機会に「惜別」と『「惜別」の意圖 』を読んでみました。太宰の取材がどの程度かはわかりませんが、魯迅を主人公に更に続編まで計画しているとの記述に「あれれ」と思う。
久々に、魯迅(ルーシュン←授業の影響でどうしてもこう呼んでしまう)の「故郷」も読み返しましたが、なんだか記憶と印象が違ってて戸惑いました。こちらの中国に対する意識の変化か。もう少し新しい翻訳で読んでみればまた印象が変るかもしれない。(青空文庫の欠点は、版権の関係で翻訳物の訳文が古いことです)
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東北は広くて、訛りが地域によって違いますから。気仙沼の人でも、津軽の人の訛りはわからないそうで。
ご存知かもしれませんが、石巻、女川、気仙沼、陸前高田といった南三陸の人は「じぇじぇ」をつかいません。気仙沼出身の母も、「聞いたことがねぇ」というくらいなので。
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「惜別」読んじゃいましたか。早いですねぇ。自分は3日ぐらいかかりました。魯迅は歌がヘタだったとか「とろろ」がニガテだったとかのネタも太宰は調べたのかな?
あまちゃん、仙台地元アイドルがブルーハーツ「リンダリンダ」で「ずんだずんだ~♪」ってやってた。酷いって思ったw
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母親が気仙沼の近くの登米町出身なので、今度聞いてみよう。
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盛岡人ですが、"じぇじぇ"聞いたことありません。
先日、某TV番組でやっていた"じゃじゃ"も、語尾に使うことはありますが、感嘆詞として使ったことはありません。
岩手は少し離れると方言も違えば、お餅の味も違います。
ちなみに津軽弁はさっぱりわからないですし、標準語で話していても早口なので、聞き取りが苦手な私には聞き取りづらいです。
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訛りは内陸、沿岸部によっても変わりますから。
登米といったら、鴨や白鳥が飛来する伊豆沼とかが有名ですね。
冬場に、上野から東北本線で一ノ関まで北上したときに車窓から白鳥の姿が見えました。
そういった景色観たさに在来線で旅行するのも好きで、いつもボックス席があると迷わずに窓側を押さえています(笑)