2013年2月1日金曜日

三鷹といえば「三鷹事件」

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今回、三鷹へ行ってみようと思ったもうひとつの理由が三鷹事件の現場を見てみたいと思ったから。自分にとって三鷹といったら1に太宰、2に「三鷹事件」を連想する。

日本がまだ連合国に占領されていた1949年7月15日の夜、三鷹駅構内を無人列車が暴走、車止めを乗り越え、交番を突き破り脱線転覆、線路脇の商店街と民家に突っ込み6人が下敷きになって即死。負傷者20名の大惨事が起こった。太宰の死から約1年後のことだ。

今の三鷹駅南口の交番のあるあたりはこうなっている。当時の様子をイメージしにくくなっている。

1949年といえば北京に共産党政権が誕生した年。この年の夏、日本では「下山事件」「松川事件」そして「三鷹事件」という国鉄3大ミステリーといわれる事件が相次いで起こった。自分にこれを教えてくれたのは松本清張の「日本の黒い霧」だ。以前この本に熱中してしまい「下山事件」「帝銀事件」の現場を訪れてしまったほどだ。清張に言わせるとこの事件も「アメリカの謀略」。国鉄の人員削減方針と労組の紛糾の最中に起こった陰謀。来たるべく朝鮮戦争に備えて兵站輸送を担う鉄道に共産党員がいてはまずかったため、世間に「共産党は恐い」というイメージを植えつけるためにアメリカ諜報機関が起こした事件。もっと詳しく「三鷹事件」のことを知りたくて、数年前に図書館で調べようとしたけど、関係する本がなかった。
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三鷹駅南口を出て右手へ線路沿いの道を進むと、太宰も通った跨線橋があり、登ってみると三鷹車両センターを眺めることができる。ここから無人列車が三鷹駅へ時速60kmで暴走していった。その車両センター近くの公園に、事件後50年に石碑が労組と有志によって立てられた。誰もが気にも留めずに通り過ぎる。

事件後、国鉄労組の日本共産党員の組合員10人が逮捕され、後の裁判で9人に無罪判決。昭和30年竹内景助の死刑が確定。竹内は昭和42年に脳腫瘍で獄死している。今日、多くの人に竹内は無罪だったと信じられている。
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太宰の墓がある禅林寺の墓地の片隅に、三鷹事件の6人の犠牲者の慰霊碑が立っている。裏には6人の名前が記されていた。傍に新しい卒塔婆が立っていた。遺族には終わっていない事件かもしれない。獄死した竹内の遺族も再審請求をしている。

この国の政治権力中枢にいる者は、守るべき物のために平然と、何ら罪もない人の命を奪うことをためらわない。司法は見て見ないふりをする。「帝銀事件」の平沢も謀略の犠牲者。「下山事件」も、本当の犯人はその後も何食わぬ顔をして社会に潜んでいる。事件をよく知る関係者の多くは真実を墓場まで持っていってしまった。今も警察と司法は手を組み、権力者は何かを守るために冤罪をつくり続けている。三鷹駅にも駅前の交番にも事件のことを示すものは何もない。風化させようとする勢力のせい?

日本のテレビはくだらない刑事ドラマがやたら多い。「そう、私がすべてやったのよ。刑事さん」的なドラマが多すぎる。日本には謎のままのミステリーがまだたくさん残されているというのに。その謎は日本の体制が変わらない限り明らかにならないだろうが。

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